20日 芝浦・アーバン・ジャングルクルーズ
珍しく昼前に起きる。入浴、昼餉の後登校。偶然駅で会った年下美女と談笑。しばらくして、もう一人、昼に待ち合わせをしていた年下美女と合流。夜に駅の裏側で行われる祭りの、運河クルージングに行く約束をしていったん別れ、授業に一瞬だけ出て、出席確認後即退出。なぜか先ほど別れたばかりの年下美女と准教授の三人でベローチェに行く。イルコモンズや雨宮処凛先生などの、素朴な左翼振りに対する違和感等について、しばししゃべり散らし、五限のゼミのみ出る。ハリウッド古典映画の形式に関する論文について、議論を。まあ文自体はつまらないんだが、もっと面白いことをあれこれ考える際の前提としては無視できないだろう、という感じの論文だった。

五限後、美女二名と運河クルージング。場所が場所だけに、なかなかのB級感。「クルージング」という単語から即座に想起されるような優雅さとは無縁の、リアル・アーバン・ナイト・ジャングルクルーズを満喫した。橋梁やモノレールを真下から見上げるなど、普段ある程度見慣れた光景を、意外な角度から改めて眺めなおす面白さを感じるも、その直後にライトアップされたドッグフードの看板や、ピーコックが目に飛び込んできてしまう、という現実感があまりにもB級的すぎて笑った。船長さんもなぜか美人だったりで、まあわりと楽しかった。

クルージング満喫後はさらに美女一名、むさくるしい男達五名と合流し、なぜか代々木まで行き、安くて旨い食べ放題焼肉店で夕餉。結構食べた。焼肉、鍋、鉄板焼などを一緒に(特に四人以上で)食べると、同伴者がどの程度周囲に気を使うタイプであるか、などなど、が、比較的よくわかるなあ、と改めて思った。

家に帰った後は、だらだらしてしまった。



21日 無為徒食
二時ごろ起きる。早稲田松竹に行こうかと思ったがやめる。
日曜日に早稲田であった文学に関する10時間(!)のシンポジウムから、福田和也氏が出ていたところ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4993185
だけニコ動にあがっていた音声データで聴きつつ、図書館に延滞資料を返却しに行くため、借りていたもので目を通していなかった本を流し読み。

シンポジウムは、福田氏とあずまんの対立軸がわかりやすかったので、結構面白かった。小生はどっち側に共感するかといえば完全に福田氏側なんだが、あずまんの苦労もなんとなくわかる気はする。彼が、下の世代で一番優秀な人間は自分の元にはやって来ないだろう、と言っていたんだが、結構本音っぽく聞こえた。これには驚いた。ゼロアカをやっていてその思いを強めた、ということなのかもしれない。質問者が全員まともな日本語をしゃべっていなかったのが一番驚きだった。優れた批評家はそれこそ20年に一人ぐらいのペースでしか生まれてこないのかもしれないが、出来の悪いファンのような存在は、さして能力のない書き手に対するものも含め、なぜか常に一定数存在しているような気がする。こういったシンポやら、本屋でのトークショーなんかに熱心に通っている奴の中には、そういう電波臭が強すぎる人間が非常に多いのは間違いない。理由はわからんが。まあこういう批判は往々にして自分に跳ね返ってくるものであるから、つまり小生もかなりの電波、ということだろう。まあ個人的には同じ電波でも、プリコラージュ能力は鍛えているつもりだが、果たして客観的に見てそれが基地外の妄想と区別がつくレベルに達しているかといえば、そこまでの自信はない。

キネ旬のリンチ本はいまいち。滝本先生の対談相手が、高城剛の友達だったりで、がっかり。リンチのドローイングが何点かカラーでのっていたのは良かった。リンチはフランシス・ベーコンの大ファンらしいが、彼が描いた絵から小生がすぐに連想したのはジャコメッティだった。「分裂病と人類」を引き続き読む。西洋精神医学史の項も、17世紀あたりまで進んできた。魔女狩りを論じている部分が刺激的すぎた。あとは17Cオランダの重要性とか。デカルトスピノザと絡んでくるあたり。勤勉という倫理がいかに強いか、というのを確認するために、ウェーバーはすぐ読もう。

図書館で色々と返し、借りる。QJ最新号をつまみ読み。大天才である宇川直宏先生がエイベックス(!)からJPOP(!!)のCDを出すらしいのだが、その内容がすごすぎる。これはほんとうに「ヤバい」。先行シングルは、トラックが卓球で、なんとボーカルがショーケン!!!!インタビューと対談、どちらも畏怖すら覚えるすさまじい内容だった。ショーケンのライブ盤を聴いて、ノイバウテンを想起した、という話を卓球としているうち、ショーケンノイバウテンに似てるというよりは、ノイバウテンショーケンに似てるんだ、という結論に達した、とか。至言にもほどがある。このCDは買おうかと思う。そのほか、ジャルジャルや博士宮崎哲也のミランカでやってる番組についてのインタビューなんかものっており、久しぶりに読み応えのある紙面だった。あれだけ本を読んでいる宮崎さんが苫米地先生を絶賛していたのは笑った。

北区、夕餉の後、借りてきた福田和也「悪の恋愛術」を読んだ。まあ至極まっとうなことばかりが書かれているな、という印象。この人はやはりカサノヴァ系のようだ。ドンファン系に対して、憧れや恐怖を抱いてしまう面が小生にはあるようなのだが、結局は行き着くところはカサノヴァ型だろう、という感じがする。まあ良いか悪いかの問題ではなく、性格や体癖の問題だろう。あとは、どうでもいいが、自分が女性によく引かれる理由もわかった笑。まあかなり前に人見知りだったことへの反動なんだろうが、関係性が薄い状態での距離感が近すぎるんだろう。まあずっとわかってたことなんだが、わかったからといってすぐに改善できる問題でもないところが難しい。まあモテるためには仕方ないので、なんとかしようと思う。

終盤、古今東西の文学作品を引いて、中盤までで確認してきた具体的戦略について改めて確認している項は面白く読んだ。宇野千代さんの自伝小説と、「赤と黒」はすぐ読もうと思う。特に「赤と黒」には強い興味が湧いてきた。自然が人工を模倣する、という認識に立った上で、今日の携帯ネットをはじめとする情報ツールの進化をも考慮すると、なにも恋愛に限った話ではなく、コミュニケーションをはかる中で他人に継続的に、ある程度強い興味を持ってもらうためには、どうしても演出や戦略、というのは必要になってくる、というのを確認するために読もう。そういった演出や戦略は、たとえば嫉妬、悋気の活用術について、本文で花魁の例で語られていたように、いくらでも粋な手つきで取り入れることが可能だし、そういった能力を高めていくことで、倦怠から情熱を守り抜くことが容易になる。もちろんそういった工夫抜きでBOSSがいうように、「情熱よお前のスタミナを試すぞ」と構えたい気持ちもあるが、そこにたどり着くまでにはある程度演出力や戦略のバリエーションを持っておいたほうが得なんだろう。どうも今まで自分は、いわゆる恋の駆け引き、などといわれるものを露骨に嫌悪していた節があったようなんだが、そのへんは一回妥協して色々試してみるのも面白いかもしれない。ただ、最期のほうで示唆されていた、相手が求めている物語にあえて乗っかれる人はもてる、といった話なんかにしても、それはまさにそのとおりなんだが、自分は、やはりどんな物語を恋愛に求めているか、が見え見えの女性に対しては、その時点で興味を失ってしまうので、難しいかもしらん。そっちが無理なら自分の物語に乗っけるしかないんだろうが、小生の好む物語は基本的にS親和者女性への崇拝と絡んでいるので、そこに相手を誘導するのは不可能。それ以上に問題なのは、そもそも所有欲が希薄すぎるため、手練手管を弄してまで、相手女性を自分のものにしたい、といった支配欲がないことか。本文の例でいうと、多分現時点ですでに、最晩年の谷崎に若干近い感じになってしまっている気がする。そりゃもてるわけないわなあ。しかもそれを自分で分析してこんな文を朝方までしたためているようではますますもてないよ。そりゃ。

いや、所有欲がないってことはないや。最近転移できたし、たぶんまだしばらくはなくならないだろう。ストア派化するのは、中年以降にしたんだった。まあ転移状態が長続きしなそうなのが心配ではあるが。そこは花魁的演出でカバーかな。