29日
二時過ぎ起きる。すぐ準備して高田馬場へ。早稲田松竹小津安二郎二本立て。「秋刀魚の味」をようやく観た。事前に確認したはずが、なぜか二本目はすでに観た事のある作品だった。映画館側の嫌がらせなのか、見事なほどよく似た構造の二本だったため、途中で寝てしまう。終了後同行した高校の友人と飲む。

医学部に通う友人と統合失調症治療の現状などについて話す。現在では、初期段階でトランキライザーをきちんと投与すれば、症状の激化、悪化をかなり高確率で防ぐことができるらしい。そのせいで、というと大分語弊があるので表現を変えるが、そういった状況の変化に伴い、ヘルダーリンのような狂気を発揮する病人の数は明らかに減っているそうだ。そもそもの精神病院発祥の歴史、「分裂病と人類」第一章の、狩猟民族とS親和者に関する記述、あたりを参照しつつ考えると、時代の神経症化に伴う変化と、薬物治療の発展によって、今後ますます、シュレーバー症例のような、多くの学者や分析家に対して、人間精神に関する大きな問いかけを成す、極端な症状の統合失調の例は減っていくんだろう。もともと百人に一人だったか、ある程度一定の割合で患者が現れる病気である以上、今後も潜在的には激しい症状に至る危険を秘めた患者は現れるだろうが、社会生活を全く営めないようなレベルにまで急速に症状が進行する例はほとんどなくなるのかもしれない。トランキライザーと統合失調、という話題から、ふとヴォネガットの息子マークの自伝的長編小説「エデン特急」を思い出した。この小説は、ヒッピー生活中に分裂病を発症したマークが、服用をひたすら嫌がっていたトランキライザーの助けを借りつつ社会復帰し、最終的には医者となる物語で、最後に、過去の自らに似た症状で来院した若者相手に綴った、トランキライザーの服用をすすめる手紙が紹介されるところで終わるのだった。

精神科に勤める医者の数が足りない病院が結構ある、という話は全く知らなかったので驚いた。人数が少ないからこそ、一人ひとりの患者に対して、どうしても対症療法的な薬の処方のみで、時間をかけずに診察を済ませようとする傾向が生まれてきてしまうようだ。

店を出た後悪友三人と合流。近くに住む一人の家で、朝までニコニコ動画の松岡修三がひたすら叫ぶやつを見て笑ったり、マブ論を片手にアイドルソングを聴き漁ったりしつつ飲む。脳が溶けきったところで朝帰宅。


30日
二時過ぎに起きる。卒論用の本何冊かを並行して読む。夕食後渋谷へ。渋谷古書センターという古本屋にはじめて行く。伊藤俊治氏のレア本が何冊か見つかったので、値段が安いものがあればいずれ買いたい。ヴェーラで曾根中生「不良少女 野良猫の性春」を観る。シャマラン以上の破壊力を持った、衝撃のラストにひっくり返る。近くのスタバでしばらく本読んで帰宅。
「リアルの倫理」を読んでいる。8章前半のオイディプスに関する議論はなかなか難しい。きっちり理解できているとはとても思えない。