8日
やや寝坊。二時前にようやく起床。10時間近く寝てしまった。四限出る。

音楽と所有権、著作権あたりの絡みについて。輪郭線を引くことで、所有欲etcの欲望が発生してくる。音楽においてはその輪郭線はメロディである、と規定されることが多い。そこからパクリ問題の微妙さ、なんかにつながってきたり。パクリ問題の関心がほとんどメロディ領域に集中していることは、輪郭線が全てを規定するというような共同幻想が、かなり広く共有されていることの証?似た状況は、アニメや漫画において、キャラクターにばかり関心が集まっていることにも言える。つまり、メロディ・キャラクターといった、輪郭線、外面的規定が圧倒的な力を持つ、というのは時代の神経症化の傍証である、みたいな話になるのかな。そう考えると駿先生が、ポニョを「少年と少女、愛と責任、これら初源に属するものをためらわずに描いて、 神経症と不安の時代に立ち向かおうとするものである。」としているのには、非常に納得がいくし、感動するなあ。アンチ輪郭線、という方向は音楽だとノイズ。そもそも輪郭線を引かない、という方向性は広く見ればストア派思想ということになるんだろう。転移と同一化の世界から離れると、所有欲、というかそもそも欲がなくなる。そこでストレスもなくなると、ひょっとすると主観的な感覚としては、時間も空間もなくなるんじゃないか、みたいな恐い話について、吉田健一「時間」を精読しながら考えてみたくなった。

あとは、骨組があってその上に輪郭線で全体、という感じで構造を考えると、音楽について授業で説明されていたことを廣瀬純「美味しい料理の哲学」の問題系につなげることも出来そう。音楽における骨はベースラインか。まあ色々いじりがいのある問題だとは思う。しかし、全部を構造で捉える考え方は拡がりが半端ではないので、抜群に面白いなーと最近よく思う。いまさらながら、構造主義者を名乗ろうかというぐらい。

授業後は、たまたま久しぶりに会った、授業を聴講に来ていた美女と、その友達とお茶をした。しばらくだべった後、池袋に移動して、ラーメン食べて文芸座で「山猫」観た。主人公の公爵に共感しないこともなかったが、こうはならないぞ、と固く決意して北区。