20日
卒論に取りかかっているうちに、朝に。そろそろ生活リズムを直さねば、と決意、夜まで寝ないことに決める。昼前になんとか一章分終了、軽く食事をして上野へ。待ち合わせたこれまた徹夜明けの美女とフェルメール展へ。平日の真昼間にも関わらず、信じられないほどの人だかり。男女比は二対八ぐらいで、ほとんどが中年主婦か老人というすさまじい状況にもめげず、入場まで三、四十分待つ。中にはいっても、異常な混雑ぶりは続き、絵を見るためにまた並んだり。周囲の人間を押しのけて、必死で近くから絵を見ようとするおばさん達の意味不明なエネルギーに当てられ、正直絵をじっくり見るどころではなかった。前日見たサッカーのカタールディフェンダー以上のラフプレーぶりを見せるおばさんたちに何度か吹き飛ばされ、思わず笑ってしまったりもした。本当に純粋に絵が見たくてこれだけのエネルギーを発揮できるのだとしたらすごいことだな、と思ったが多分違う何かだった、あれは。展示の内容自体も微妙。総点数が40作品未満だったのにまずびっくりしたし、フェルメール展と言っておきながら、フェルメールの有名な作品があんまり出展されていなかったのもひどかった。個人的な問題として、光の表現については、色彩以上に、良し悪しを判定できるセンスがないので、残念ながら、なにが魅力なのかさっぱりわからないものがほとんどだった。唯一ハッとさせられたのは、フェルメールの、その他の、部屋の中にいる人物を描いた作品群とは異なる、路地の風景をロングショットで捉えて描いていた作品だった。まあ、光の細かいニュアンスに対するセンスが欠けているがゆえの感想、という気もするが。

駅で美女を見送った後、周辺を散歩。アメ横にはじめて行ってみた。大声でがなりたてる人から、とうとうと自分たちの品を宣伝する人まで、様々な人達の声がこだまする、活気に溢れた空間。市場のおっさんの声を聞くと、なにか細胞レベルで活力が回復するような感覚に襲われた。表面の黒ずんだ果物を、こんなもん中身は全然平気なんだから気にすることないって!などと言って若干強引に売りつけるヤンママ系のお姉さんを見て、元気が回復。もっと彼女のようなおおらかさが世の中に溢れるようになれば楽しいのに。
一通り回った後、道すがらすれ違った不良高校生グループが、指を指しながら「ここ超うめぇーから!」と話しているのが聴こえた、屋台風の海鮮丼の店に入り、マグロねぎトロ丼をかきこむ。確かに超うまかった。食べながら、ふと、「麻雀放浪記」の、坊や哲とドサ健が上野で飯を食うくだりを思い出した。最近はノガミやジュクなどの、現在でも、かろうじて戦後まもないころの、猥雑さを伴った活気をどこかに残しているような街に魅力を感じるようだ。自分が生まれる前の時代に対するノスタルジー、というのも奇妙な感情のような気がするが、昔の本ばかり読み、昔の映画ばかり観ている以上まあ自然と湧いてくるものなのかもしれない。

上野から田町へ移動。さすがに眠すぎて山手線一周。少し落ち着いて、学校へ。文化祭の準備に余念がない周囲を見やりつつ、図書館で延滞すれすれの本を返却。新たに三冊ほど借りて、帰宅。夕食後、すぐに寝た。


21日
六時半過ぎ自然と目が覚める。さわやかな目覚め。朝日が気持ちいい。朝には合わない、楳図かずおの漫画を読み、朝食を久々に食べ、ポーラXを観ているうち、昼に。昼は珍しく自炊。といってもスパゲッティ程度だが。アラビアータを食べた。食後、天気も良いので少し昼寝して出かけよう、と考えて、シエスタを取るも、ついがっつり二時間ほど寝てしまい、起きたら若干日が陰っている始末。遠出する機会を逃す。仕方なく入浴後近所まで出かけ、軽く本を読んで帰るコースを選択。帰って食事した後は、時差ボケ的なだるさと格闘しつつ、長かったバラード本を読み終えた。