猫田道子 うわさのベーコン

プロットもなにもなく、滅茶苦茶な敬語表現が乱発する上、誤字脱字だらけ。でも不思議と作品として妙なまとまりがある感じがおもしろい、タイトルも一切意図的な狙いがないにも関わらず、「アンダルシアの犬」のような雰囲気を醸し出している、とは中条省平氏の論。
他にもあまりにも奇妙な文体のねじれは偶然にもフランシス・ベーコンを感じさせるものがある、そういう意味ではタイトルと内容は無関係とも言えないのでは、とかいう意見があったり、未読だが高橋源一郎が絶賛していたりもするらしい。

しかし、個人的な感想としては、そこまで絶賛するほどのもんなのか、という疑問が残った。意図的に壊しにいっていないにも関わらず、滅茶苦茶に壊れていて、かつある程度の統一感を持った(なんとか作品としてギリギリ成立する程度の)文体である、というところが肝なんだろうが。無理にこじつければマイケルズの議論で言う所のシニフィアンの物質性が極限まで突き詰められたような境地に達しているとでも言えるか。

ただ、そう言ってみた所で、マイケルズ本もそうなんだが、じゃあ無意味な何が書いてあるかまるでわからん落書きが最高、ってことなのか?という疑問が出てくる。そのあたりの微妙な匙加減というのはやはり重要だろう。画太郎長新太や松本のコントなんかがナンセンスと言いながらもある種のまとまりを持っていることについて以前考えたが、文学で同じようなことを考えるとして、この作品の統一感がうまいバランスなのか、といえば自分はそうは思わない。さすがに破綻しすぎなんじゃないかと思う。
そのへんをどこまで許容するか、というのは必ずしも個人的な趣味の問題ではすまされんような気がするがこれ以上上手く言語化できないのでやめる。