小泉義之 「ドゥルーズの哲学 −生命・自然・未来のために」

以前大学の便所の落書きで、人生の意味とは何か、といったことが書いてあるのを見つけたことがあった。その問のまわりに、色々な人がそれぞれの意見を書き込んでいて、なかなか面白かった。「そんなんねーよ」とか、素朴に人生の意味を信じている感じの書きこみの横に「ネタにマジレスおつ」とか、それこそ2ちゃん=便所の落書き説を裏書するようなものが目立つ中、一人、一生という限定された時間内で積分すれば意味を見出せる、というようなことを書いている人がおり、なかなかこれは面白いな、と思ったことを、この本を読んで思い出した。
ドゥルーズが言っている(とこの本に書いてあった)世界は微分的である、というのはようするにそういうことだと思う。人間に解ける問題と解けない問題がある、というのも同じこと。生きてある自分という変数を導入することで、個人の生の意味は積分空間内では立ち上げることができる。宇宙とは何かだれもいえないのは、人間に考えられる限界を超えた問題だから。勘だけど(まあ勘のよさには最近自信あるので、けっこう正解かもしれない)、ポアンカレ予想の証明して燃え尽きちゃったロシアの学者は、それに気づいて落ち込んでるんじゃないかな。宇宙の形について、人間はある程度の予測までしか出来ない脳味噌の生き物だってことに気づいて、今までのはなんだったんだー、たんだー、んだー、みたいな。違ったらごめん。学者さん。

カオスモスの定義がさっぱりわからなかったから、そのへんはドゥルーズ本人の本をちゃんと読みたい。これはガタリの用語だったかもしらんが。

アマゾンでけなされまくってるのはかわいそうだと思った。別に間違ったこと書いてるわけじゃないと思うのだが。まあ入門書だと思って買ったら失敗だった、って人が多いんだろうな、というのはわかる。用語の説明がほとんどなかったし。ただ、内容は別にわかりづらくもないし、そんなに論理飛ばして書いてる感じじゃなかったと思う。ドゥルーズ自体の本もそうだけど、ドゥルーズの入門書は特に、どれもアマゾンでめちゃくちゃけなされている、というのは面白い現象で、これはおそらく、内容が理解できなかったから悔しくてけなしているだけだと思われる。嫉妬というか。わざわざレビュー書くぐらいだから読書家でお勉強も大分してきている人たちなのだろうけど、ドゥルーズ的思考に憧れつつも、それが芯の部分で理解できていない、と考えている人たち。ようするに転移はしてるんだけど、好きなドゥルーズが振り向いてくれないから、あいつはあんなに終始楽しそうにして、超むかつく!うざい!と言って臍を曲げている感じ。
こんなもん直観的に腹から理解すりゃいい話なんだけど、頭でしかものを考えられないから、そこに気づけない。かわいそうだなー。翻訳が悪いの何のごちゃごちゃ言ってる奴等も大部分が似たようなもんだろうな。かわいそう。廣瀬純はこの本をしっかり賞賛してましたよ。

世界は微分的である、というのは面白い言い方だな、しかし。数ⅢCは習わなかったので、微分積分について知らないところも結構あるんだけど、まあそれはそれとして、この認識はどう考えても正しいと思う。