村上春樹 走ることについて語るときに僕が語ること

村上春樹の長編が長い(上下巻、三巻組のときもあるか)のと、彼が長距離走を毎日のように行なっていることには、多分関係があるのだろうと思いました。現代は昔よりも明らかに、長大かつ、一貫性を持った物語を書き上げるのが困難な時代です。現役の作家で、一般的な平均よりも長い長編を、長期間にわたってコンスタントに発表し続けている作家としては、ジョン・アーヴィングがいると思うのですが、この本のおわりに、村上氏がアーヴィングと一緒にジョギングをしたときのエピソードが載っており、やはりこの人も走る人なのか、と膝を打ちました。趣味の問題なんでしょうが、所々に挟まる比喩の感覚は、相変わらずどうも好きになれませんでしたが、作品のリズムと、日々の規則正しいランニングと執筆のリズム、相互の関係がわかったのは面白かったです。


言ってもしょうがないことなので、あんまり言いたくないんですが、勢いで書いちゃおう。マラソンの記録が伸びなくなっている、という話が途中から何度か出てくるのですが、悲しいかな、本書の書かれ方に沿って考えるならば、マラソンの質の低下は、小説の質の低下に直結しているような気がしなくもない、ですよね。まあ年だからしゃあないんでしょうけど。次回作がアフターダークより短かったら、もう書けない、ってことかもしれませんね。というかこの本自体が、若干回顧録風味だったので、もう引退は近いかも。まあ、今まで良く頑張ったとは思いますが。世界中で多くの人間を多少なりとも癒した、というのは立派なことですよね。彼の作品には若干タチの悪い嘘が交じっていると思うので、自分としてはあまり好きではないですが、だからと言って、彼の本で癒された人間を責めるようなことはないです。昔はそんなことよくやってたけど。僕は読みませんが、内田樹が最近書いた春樹本は面白そうですね。