G.K.チェスタトン 正統とは何か Orthodoxy

ストア派批判の文脈がいまいち納得できなかった。やや彼はストア派の考え方を誤解しているのではないか。とか。
彼の文脈だと、キリスト教の眼目は相反する二つの力を共に極限近くまで高めることで、結果的にギリギリの平衡関係を生み出し、バランスを取ることにある。よって、見た目には単なる平穏、安定に見えても、常に結果としての平穏へと至るための内的な戦いが継続している。一方でストア派は平穏、安定のために、相反する力を共に高めるのではなく、ある種の退行を経て、そもそも相反する二つの力が分岐する前の一元論的な力にのみ注意を払う。結果としてはキリスト者と変わらないように見えるが、その内面で葛藤が継続されていない点に問題がある。常に安穏としてへらへらしてんじゃねえ、ってことなのかもしれないが、個人的には、転移関係からの撤退は必ずしも悪い事とはいえないだろうし、吉田健一のように「倦怠」からの撤退にもつながり得るのでは、とか思ってしまうのだが。うーむ。