正午過ぎに起床。某企業の筆記試験に行くか迷ったあげくキャンセル。数時間呆けまくり厭きたところで登校。五限に遅刻。学校の近くの某施設で夕食。初対面の人間達と3時間ほど会話。久々の会話だった気が。近所に住んでいるというおっさんが来ており、ただならぬ雰囲気を発散させていた。妙齢の男性が初対面の女子大生にサークルについて質問する際のテンションはどの程度が正しいのかぼくには全くわからないし、だいたい正解があるとも思えないのだが、少なくとも彼の感じは若干不正解気味だった。業の深そうな感じには興味津々だったので、本来なら積極的に絡んでいくべきだったんだろう、とは思うのだがまだまだ自然にそういう動きは出来ない。もう少しコンディションを戻していく必要があるか。

帰りに渋谷の本屋に寄り、中原昌也の新刊「ニートピア2010」を三分の一ほど座り読み。ここまでの所、今まで読んだ彼の本の中で最も面白い。まず、「舞台動物」は、文体が気持ち悪すぎて笑えた。語尾の感じなんかは特にひどかった。「怪力の文芸編集者」は、まず強烈なタイトルに驚かされた。そして、執拗な反復が生むリズムに高揚。「ブン殴って犯すぞ!」はいつもの恨み節が上手く話のスパイスとして処理されており、なかなか新鮮。「誰が見ても人でなし」は句点と改行を廃して矢継ぎ早に言葉を重ねていく文体がオモロ。妙なリズム。なによりも途中黒いミミズがのたうったようなもん、というエクスキューズからはじまる、数ページに渡る、B級映画風にアレンジされた三面記事のパロディのような断片の連続が凄かった。各短編のタイトルにも表れているような絶妙なおかしみがあった。あそこまでポンポン思いつくのは流石だ。
帰宅後は、水上勉の伝記文学「一休」を、21,2歳での自殺未遂のあたりまで読み、千原兄弟「15弱」を観た。

それにしても、丸四年と少し、大学に入ってから毎日のようにこんな生活を送っている気がする。誰かと酒を飲んでいる時以外はほとんど何か読んでいるか観ているかしている、っていう。ちょうど今日読んだ短編のどれかにも出ていたが、人間というのは長い時間何もしないですます事は出来ず、たとえそれが何の実りも生み出さない無為な行為でしかなくとも、常に何かをやってないといけない生き物だ。それは誰であっても同じ。だからといって、これはまずいよなあ、とも思う。読んだそばから、観たそばからどんどん忘れていっているだけだし。