排除の論理とハードコア音楽 白 ハードコアパンク 黒 ヒップホップ
排除の暴力の相互作動=>先鋭化
神経症的傾向が増加する社会の動きと関連
アイデンティティ崩壊 承認欲求の高まり 

特にハードコアパンク
外 の他者、ばっちいとして差別、排除され、かつそれがゲットーとして囲い込まれる 管理された混沌の典型例?
排除される対象として自分たちのコミュニティが表象されている状況を認識しつつ、その囲い込み戦略に対抗していく
そういった方法論としてのDIYカルチャー

ロハスとか、最近の鶴見氏みたいな運動とか、イルコモンズとか、お偉いさんだとネグリとか
全部ひっくるめてDIYカルチャー

相互に排除の論理が暴力的に作動している、その只中でがんばりましょう、的な

意義は認めるが、どこか新左翼的なノリにはついていけんなあ、と思う。
そもそも差別され、低く見られ、排除されているものとして自分たちの所属するコミュニティーなり、国なり、カルチャーなりを規定して、
その状況をひっくり返そうとすると、結局無限に暴力の連鎖が続き、しかもそれが徐々に先鋭化していくはずなので、無駄、という一面は否定できないはず。
そういったことを全て承知の上で、自分たちのアイデンティティを一切主張せず、ただちゃぶ台返しに専念する、という意向で活動していたのがジョン・ライドンをはじめとする初期パンクだと思う。
真のアナーキーとはそういうことを指しているはずだ。権威は全て糞だけど、人間は好き。
人間としては女王を好きだと断言するジョンライドン先生のように私はなりたい。



初期パンクVSハードコアパンク

ようは笑いがあるかないか。
全部笑い飛ばしたあとに残るのは倫理。
しんせつをしよう。