22日
午前中に起きる。朝飯からきっちり食う。昼頃「スパイダー」観賞。地味で暗くて重い映画。精神的に余裕があるときに観たからよかったものの、気が滅入っているときに観たらしばらく忘れられなくなってこまるだろうな、というような映画だった。晴耕雨読をモットーとする廃人としては、雨が降っている時点で外出は不可能、ということで夕方からは書見。ユクスキュルとゴーゴリとカントを読んだ。ユクスキュル本は内容もさることながら挿絵も可愛くて素敵。環世界の途方もない豊饒さに痺れる。人間中心主義とは無縁の人間讃歌としても読めるような。感動。夕餉の後、麻雀の誘い。終電前に渋谷へ。大学の人達と徹マーをはじめてやった。KOBOYSにも麻雀をする人がまだ少しはいてよかったな、などと安堵しつつ朝まで七半荘ほど。呪われてでもいたのか、トップ一回を除き全て三位だった。普段三位など一晩やって一度もとらないことがZARAなのに、今回はいったいなんだったんだろう。謎だった。三位の内容もひどくて、自分と無関係なところで飛ばしあいがあって、東場の途中で終了になって、確認してみたら「あれ、三位?」とか、そんなんばっかり。激しい消化不良感が残る戦いだった。なんやかんやで結構負けてしまい、またも破産。親への借金がまた増えるのかと思うと憂鬱。朝九時頃寝た。


23日
二時過ぎ起きる。四時ごろから久々にWillyへ。かなり多くの友人と会う。晴天の中、夕方から野外で酒を飲みだらだらしながら音楽を聴く、というのはやはり楽しいものでした。夜は多摩川を眺めつつ長話したり、場所を移して長話したり。対話相手のことを包括的に理解することが可能な客体として想定することは、容易にある種の傲慢さや盲目へと堕してしまう危険性を孕む。あくまでも他人は自分とは無関係な生き物であるという諦念に立った上で、そこから可能なかぎり、相手の考え方を理解しようとお互いに努めてコミュニケーションを図ることは、そういった傲慢さや勘違いには陥らないところで、少しずつ相互理解を積み上げていく事ができる、非常に建設的なやり方だと思う。八時間ほど喋っていた気がするが、その認識が互いにぶれていなかったはずなので、ある程度実りある対話が出来た、と思う。朝方北区。ようつべでワイルド・アット・ハートのニコラス刑事がボンネットでLove Me Tenderを熱唱するラストシーンの動画を観て泣きそうになって、寝た。自分がもし将来結婚するようなことがあれば、新婚初夜にはなにがあってもこの部分の映像を観ようと心に決めている。

24日
昼過ぎ起きる。スパゲッティ(カルボナーラ)食う。若干二日酔い気味。だらだらする。夕方から久々にスクエアへ。ナンバーとセブンティーンをこれまた久々に読む。大政絢Cが美しすぎてびっくりした。「宇宙クリケット大戦争」と、「野性の思考」をそれぞれ一章分読んだ。レヴィストロース、意外と読みやすい上に面白すぎる。まあ昔中沢先生のカイエ・ソバージュとか読んでいたのですっと入れたのかもしらんが。今自分が考えてるテーマとかなりリンクする話題が多かった。「風が吹けば桶屋が儲かる」方式の知のあり方についてもうちょいよく考えたい。電波系、B級映画系の思想、ということになるんだろうけど。結局現実というのは、なんの因果関係も認められない偶然性オンリーのカオス、という前提から出発すると、バタフライ効果を非科学的として批判する、といったロジックがいかに滑稽なものかわかるよなあ、とか。北区。すき焼き。夜は「鳥」を観た。途中で寝そうになった。まあお勉強だからしゃあない。