16日
眠いのでいつもにもまして日本語がめちゃくちゃだ。まあいいけど。

起きたら二時過ぎ。入浴、昼食などをすませているうち、気づけば三時半を回っており、一応登校したものの、授業には間に合わず。漫画を返されたり貸したり、ゼミの後輩の発表原稿を読ませてもらったり。ヴォネガットについて色々と話す。ヴォネガットは、聖書について、「山上の垂訓」などに表現されているような、いわゆる隣人愛の精神は最大限に評価できるが、愛という言葉を多用しすぎているのは、意味が強すぎるため、良くない。代わりに親切、といった言葉を使ったほうがいいのでは。といった意見を持っていたらしい。後輩に借りた大江健三郎との対談の中でヴォネガットは、強い転移関係に入らず、「親切」を心がける、という程度に抑制された対人関係を構築することの利点を、「バランスが良い」と表現していた。このあたりから考えても、ストア派との類似性は明らかだろう。ただ、マルクス・アウレリウスにすら、妻への愛と、自省録を書き続けること、という二つの症候が見られたように、人間はおそらく誰もが、多かれ少なかれ何かしらの転移対象、症候を持ちながらでしか、生きられないはずだ。それを神と呼ぼうが呼ぶまいがそれはさほど重要な問題ではないと思うが、人間は、やはりなんらかの信じる対象は確保することでしか、安心して生きていくことができない。なんというか、「弱い隣人愛」のすすめ、みたいな形で要約してしまうと、多文化主義マンセー、といってるような感じがしてしまい、ヴォネガットの「愛は負けても親切は勝つ」という言葉の本質はつかめなくなってしまうような気がする。

もともと、「愛は負けても親切は勝つ」という言葉は、読者の高校生から届いた手紙に、あなたの作品の本質を一言で言い表すことができます、という前口上に続いて書かれていたものらしい。それをヴォネガットが気に入って、以後しょっちゅう使うようになった、という流れらしい。本質的にはストア派的な精神を持つ彼も、やはり何かを愛し、信じながらでしか、生きられなかった。ただ、そんな中でも、常に愛は負ける可能性を持つ、ということを、頭の片隅では、冷徹に認識していなければならない。彼がシニカルとも取れるユーモアを用いて警鐘を鳴らし続けたのは、そういった問題でもあるだろう。転移と同一化の世界では、愛が容易に憎悪に反転し、狂信やテロリズムが発動する危険から免れ得ない。ドレスデンの爆撃を目の当たりにした後の彼には、そういった危機意識が人並みはずれて強く働いていたんだろうと思う。

まあそのへんは掘ってもしょうがない部分なんだが、バイオグラフィーなんかを見てると、一度目の結婚は22歳で幼馴染としているみたいだし、世に言ういわゆる恋愛のようなものには、基本的には大して興味のない人だったんだろう。というか、人間全体は好きでも、べたべたした人間関係は嫌いそうな感じがする。とても。そのへんは深沢七郎と似た感じか。小生が個人的に特に好きな作家の実人生は大体二パターンに分かれていて、片方はヴォネガットや深沢のような、人間全般に対する情のようなものは持っていても、激情、感情の昂りとは無縁のタイプ。もう片方は、三回、四回と離婚している破滅型タイプ、という。まあこれは深く考えるといろいろ恐いので考えないことにする。

昨日に続きnu3号を読んだ。今日は、大谷・三田対談。あまりの長さにびっくりしたが、かえってこのぐらい長いほうが面白いかな、とも思った。三田氏の学生時代の話はいろいろオモロかった。いわゆるセゾン系に近い文化的な磁場は今どこかにあるんだろうか。小生の知らないところで、みんなこっそり盛り上がっていたりするんだろうか。まあたとえそんなシーンなんかがあっても、そういうノリは気持ち悪いから俺は勝手にやろう、と間違いなく考えてしまうだろうから、あんまりあってもなくても関係ない気がするが。でもやっぱり三田氏の話読むとうらやましいと思う部分はあった。さすがに。

あとは、三浦和義が自殺したということで、疑惑の銃弾特集最終回がのっていた文春も一応買って読んだ。遺書が出てきていない以上、どう盛り上げようとしても限界があるわなあ、という感じが。最後の一言が、アイムスペシャルだった、という釣り広告の文句に思いっきり釣られクマーで買ってしまったが、そのくだりもたいしたことなかったし。