17日
午前中から忙しく動く予定だったのだが、キアロスタミを観て寝たのが八時、しかもちょうどそのあたりの時間から家のすぐ近くで工事がはじまり、そのせいで断続的に震度2ぐらいの揺れが夕方まで続き、二時ごろ起きたときには、五、六時間寝たとは思えないほど頭がぼーっとしていた。とりあえず登校も、またも四限出れず。よく考えたら、先週は20分しか授業に出ていない。さすがにひどい。教習を入れまくって無理やり朝型に切り替えんと。ゼミでホラー映画についての発表。フロイトマルクスの枠に当てはめて次々とホラー映画を解釈していく論文を扱って。モンスターが「他者」を表象するものとして、「正常」とされる人物達と対置される。しかし、抑圧されたものは必ず回帰するので、「正常」な登場人物たちは怪物に食べられたり惨殺されたりしてしまう。といった話の連発。フロイト理論の強さ、身もふたもなさ、無謬性をどう考えるのか、というのは難しい問題だと思う。精神分析的な発想に対する反発、批判も、その大半は、否認として処理してしまうことで、結局は精神分析の枠組みで矛盾無く解釈できてしまう部分があるから。

斉藤環 「精神分析」を回避することの困難さについて
http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/saito/voice0104.html

帰宅後に読んだこれなんかもあわせて考えておきたい。宮本忠雄氏が言うところの「内包の縮小と外延の拡大」によって、個人病理が社会病理と接近することで、今日の論文でいえば、フロイト(個人)とマルクス(社会)が短絡されやすくなり、ラカン社会学、のような精神分析の用語で社会問題について考えることの信憑性が増してきている、という状況をどう考えますの、とか。

夕食後はだらけつつ「かむろば村へ」を二巻まで読んだ。やわらかめの笑いでくるんではあるけど、中心には呪いの重さ、業の深さがありありと感じられる。恐い。
今から卒論を英訳しなければいけないのだがとてもめんどうくさい。今から、というか二週間ぐらい前からせねばいかんかったのだが。

結局作業にとりかかるのが嫌すぎてダラダラしているうちに朝になってしまった。