熊を放つ ジョン・アーヴィング

ちょっと長い気もしたが、そのへんは彼の持ち味でもあるので、仕方がない部分だろう。彼の作品は、過去の文学作品に言及することもあまりなければ、語りの形式や小説の構造に対して自己言及的に論じることもない。彼は所謂、「文学史や文学理論をしっかりと踏襲し、重視するような作品を批評家や学者が褒める。そういった風潮に合わせ、作家も批評家の好みそうな作風の本を書く」、といったような相互依存的な構造に対して非常に強い違和感を抱いているに違いない。

やれポストモダンだのメタフィクションだの、ごちゃごちゃ言ってるうざい奴等もいるけど、結局いつまでたっても人間には良質な「物語」が必要なんだから、僕は我が道を行きますよ、って感じかな。勝手な推測だけど。

動物を檻から出したところで、動物が自由に伸び伸びと生きていけるはずがないのに、その行為にヒロイックな幻想を抱いてしまうというのは、わからなくもない。終いにはオザケンの2万字インタビューよろしく、これ読んで動物園行ったりしちゃってね。やだやだ。

まあ、正直ちょっと青臭すぎる気もする。ただ、とは言っても村上春樹に青いといわれるほどではないだろう。お前が言うなよ、って話。

ナチスやユーゴの政治絡みの話がジギーの自伝のくだりで散々出てくるあたりも含めて、日本の学生運動なんかともかなりシンクロする話だった。
今だったら、革命を夢見てゲバラTシャツを着ていいのは中学生までだろう、って感じだが、当時は環境が違ったからみんな夢見がちだったんだろう。こういう作品読むと、ある程度無邪気に大志を抱けた時代に対してちょっと憧れを感じざるを得ない。やはり。

カオウ!と叫ぶことすらできない自分たちの世代は、なかなかつらいんじゃないだろうか。