ベル・ジャー シルヴィア・プラス

主人公エスターは、自分の詩が認められ休暇中に田舎からニューヨークに招かれるも、周りの環境になじめず、将来に不安を募らせ精神に異常をきたし、精神病院に入れられてしまう。そこでも周囲に不信感を抱き続けなかなか治療が上手くいかないが、最終的にはなんとか退院し、立ち直る。

著者の体験を交えて書かれた自伝的長編であり、彼女の残した唯一の長編小説でもある。
しばしば女性版「ライ麦」と称されるのも納得の青臭さ。
例えば思わず「ほしのこえ」かとツッコミたくなるような「ここにいるよ」という台詞は青すぎるとか、タイトルにもなっているベル・ジャーの比喩なんかも、思春期の孤独感を表すものとしてはありがちだ、とか文句をつけようと思えばつけられるところは山ほどある。
ただ、いくらベタだとか自意識過剰だといって否定しようとしても否定し切れなかったり、否定することになんとなく後ろめたさを感じてしまう部分もまたあったことは間違いない。
つまり、身につまされるというか、自分が彼女を馬鹿にできるほど偉いわけがないというか、なんというか、とにかく、認めたくはないがよくわかる、とでも言ったような感覚を強く抱いたのだ。
著者自身が届いた最終版の原稿を読んだあと、大笑いしながらそれを破り捨てたというエピソードがこの小説の性質を見事に象徴していると思う。

また、本作とは直接関係ないが、この本を読んでいて、読書のタイミングというものについて、色々と考えさせられた。本作のような青春小説と言われる類の本なんかは特に、思春期の尖りまくってる時に読むのと、ある程度年とって、すっかり丸くなってしまった後で読むのとでは大きな違いがあると思う。まあ当たり前といえば当たり前なんだが。本作はエスターの年齢設定が、ちょうど大学卒業を控えている時期ということで、まさに今読むべき本だった気がした。英文科の学生という設定が自分とかぶっていたため、シェイクスピアやベオウルフへの嫌悪なんかは、非常に共感できたし。

サリンジャーの一連の著作なんかは、どれも偶然いい時期に読んだ気がする。だから一時期のめりこんでしまったんだろうが。