業田義家 自虐の詩

笑いの基本要素の一つに第三者的な視点というものがある。これは往々にして、嗤いへとつながってくるような、いわゆる笑いの有する差別的構造を顕在化させる働きをする。
しかし、この作品においては、その第三者的視線こそが逆に、幸子たちへのある種の暖かさを持った視線として機能しているような気がした。このへんはやはり落語的な視線、ということになるのだろうか。

終盤の展開はかなり浪花節的要素が強かったが、不覚にも泣いてしまった。描き方が上手いからだろう。一般人だろうが出来の悪い人だろうが、誰の人生にもドラマはある。それがたとえ三文小説や出来の悪いメロドラマのようなものだったとしても。そして結局は人間である以上、どんなに理論武装して「人生に本質的な意味なんかない」と嘯こうとしても、そんなのは無理で、そこに何らかの意味を見出していかざるを得ない。人生ってそういうもんなのかもしれない。ラストの幸子の独白には非常に胸を打たれた。
幸や不幸はもういい どちらにも等しく価値がある 人生には明らかに 意味がある

漫画の技法の部分で言うと、四コマでここまでストーリー性のある漫画を書ききっているのはかなり凄いと思う。日常の断片を繰り返し反復的に提示しつつ、そこから徐々に人物の描写を深めていくという手法が見事に機能していた。とにかく日常の反復が効果的。ちゃぶ台返しやら幸子、熊本さんの貧乏描写なんかどれだけ出てきたか分からんほど何回も出てきている。そういう中にたまにズレのある描写なんかが来ると、読むほうとしてもグッとくる。熊本さんやイサオが時折見せるちょっとした優しさがやたら心に響くのは、それまでの反復あればこそ、ってことだ。反復と差異というやつだ。それこそ。とにかくよく出来てる。熊本さんがらみのシーンは泣ける。