サド 悪徳の栄え下

悪徳の限りを尽くしたジュリエット達が一切罰を受けることなく、逆に徳を重んじてきた妹のジュスティーヌが雷に打たれ死を遂げる、というラストシーンが象徴的。とにかく道徳、宗教も「底が抜けている」んだ、ということを手を変え品を変え主張している物語だった気がする。

道徳法則を相対化した後、ジュリエット達はある種、一休さんの「浮世は夢、ただ狂へ」に現れているような、自らの欲望に忠実に生きるという方向性を選択する。
ただ、あたかもこの小説においては悪徳が推奨されているかのように描かれているが、作中開陳される理論を突き詰めれば、実際には悪徳が美徳と比べてより大きな価値を持つというわけではない、という結論に至るのではないか。
美徳、悪徳という対立軸にこだわること自体が無意味なのではないか。
そう考えると、別に一貫して悪徳を行なわずとも、その時に応じて好きなことをすりゃいい、って話になるような気がする。ただその際注意が必要なのは、美徳とされるような行為を行なった場合、そこに見返りを求めるような気持ちがあっては駄目だということだ。それでは従来の道徳観から抜け出せていないことになる。

まとめると、個人的見解では、美徳へのカウンターとしてことさらに悪徳にこだわっている段階である本作のジュリエットはまだ甘くて、最終的には行為に対する価値判断の一切を宙吊りにして、好きなことを何でもやる、という姿勢にたどり着くのが理想なんじゃないか、という感じ。

下巻でもプレイの描写は色々と楽しめた。SMがらみは大体理解できるんだが、少年がらみやらアナル系は今のところ全く理解不能。まあ今後どうなっていくかはわからんが。