・我々が生きる世界の仕組みを探求する 

・そこでいかに生きるかを考える 

この二つは峻別すべき

上について
否定神学システムの否定から、創発、生成に重きを置く自己組織化システムへ、あるいはデリダフロイト的なゆらぎを包含した郵便的システムへ、という流れはあるが、ひとまずそれは措いておくとして、とりあえず前提として確認すべきはゲーデル的矛盾。

下について
幸福とは何かという議論は措くとして、とりあえず日々を楽しく暮すために思いつく方法としては、
昇華
伴狂
再帰的没入
投薬
癒し

昇華はようするに表現、創作によって鬱屈した想いを昇華する、という方法。苦しみが伴うが、ドーパミンが出てA10神経が刺激されるので充足感も大きいはず。ただこれは出来る人と出来ない人がいるだろう。自分には無理。少なくとも現時点では。


伴狂は甘えと密接に関わる。江戸の太平期に伴狂が一つの戦略としてクローズアップされてくる様子を、超豊富な資料から推定して艶のある語り口で綴る「あの猿を見よ」参照のこと。

現代は長く平和が続いていることから来る閉塞感によって、江戸太平期同様もともと正気と狂気のアマルガムである人間が、ともすれば狂気の側に落ち込みやすい環境にあるといえる。そこで狂気に落ち込まないためには、狂気を装うというポーズが有効になる。太宰のような道化を演じている自分に酔う、といった側面を帯びることもなくはないだろうが、メインはそこではなくて、あくまでも一つの快適に生きるための戦略として。

なぜ伴狂が有効なのか。それはおそらく甘えと関わる問題である。
例えばM男を演じることの有効性。あくまでもゲーム、という留保つきであることを上手く利用することでさほど深い関係にない人間に対し最大限に甘えることが可能となる。
例えば禅的な態度。高田的な居直り。一切の規範、場の空気、責任といったものから意図的に目を背けることで、気ままに生きることが可能となる。気まま、という言葉は「気」が自由にストレスフリーで漂っている様子を示している。あくまでも意図的に目を背ける、というところが重要。空気が読めないのではない。読まないのだ。木を見て森を見ず、ならぬ、木を見ず、森を見ずの境地である。知っていながら、目を背ける、ここにも二重性があるが、伴狂と並ぶ、もう一つの重要戦略である、再帰的没入も同じく、二重性が鍵になってくる方法である。

これは、ゲーデル的矛盾を自覚した上で、なおある考え方なり、システムなりに「あえて」没入していくという方法である。菊池的に言うとアーバン・ブルースの世界。タネのばれた手品をあえて見る、そこに快楽を見出そうという戦略。相対化されていることを承知で没入する、そこがキモ。
これは知っていながら目を背けるというよりは、知っていることを意識しつつも、無意識で見ている時と同じかそれ以上に対象を凝視していくような方向性。
あえて結婚してみたりとか、家族を成立させてみたりとか、右になってみたり、左になってみたり、とか。神様なんか信じてみたり、とか。大事なのは、常に自らが自覚者ゆえの特権意識のもと、無自覚に対象に没入している人間を嘲笑することがないよう、自らを戒め続けること。この方向性は、例えばチェスタトンが逆説、諧謔を駆使しながらもカトリックの信仰を捨てていないことなんかとも関係してくるだろう。あとはサラリーマン生活に没入する、というところでいえばいましろたかし「クール井上」とか。なぜ信じるのか、というところを突き詰めていったところで、それこそゲーデルが晩年にはまった神の存在証明、みたいな話になってしまうだけである。とりあえず根拠はないけど信じる、というところからスタートする、というのがいいだろう。対象がなんであれ。

投薬、これは鶴見済人格改造マニュアル」やマーク・ヴォネガット「エデン特急」なんんかに絡んでくる戦略。ようはメンへラーでいいじゃないか、ってことで、プロザックでもトランキライザーでもリタリンでもラッシュでもハッパでも何でもやって気分よくなるなら、どうしてもそれに頼りたいなら、やればいいじゃん、という方向性。
鶴見的に言えば「人間の性格、心なんか薬で変えられる」という事実を自覚することで心理的に楽になれる面もあるだろうし、下條信輔的に言えば、プロザックで明るい性格になる、ってのはメガネかけて目がよくなる、とか杖ついたり乗り物乗ったりで移動効率が上がる、ってのと程度の差こそあれ地続きなんじゃないの、という話。

癒しというのは、スピれる人とか、春樹文学で安心できる人とか、死にオチの映画観て感動して泣ける人とか、相田みつをファンとかが、そういうもんで心を落ち着ける、ってだけのこと。特権意識を持つほど下らない事は無いと思うが、癒しだけは肯定しようが無い。まあ癒される能力のある人は癒されてればいいんじゃん、と思う。などと思いっきり特権意識丸出しで高踏的なことを書いている自分には呆れるばかりである。

とりあえずこれからしばらくは伴狂について重点的に考えていきたい。読みたくないがフーコーも一応読む。

あとは天然というか、男気ってのも重要な要素かも。
豪気。ロマン。とらわれない生き方に憧れる。