偶然性をいかに肯定するか
オープンリミット

太い線

ノイズ 場所 散歩 雑誌 安請け合い

人生ゲームの隠喩で言えば、1から6どの目が出てもまずい、という展開でなかなかサイを振れず、立ち止まり逡巡する。しかし、いざ覚悟を決めてサイを振ってみたら、サイが真ん中から二つに割れて、表裏足して7が出た。7マス進んでみたら、それまで悩んでいた枠組みと全く別の位相にいつの間にか到達していて、またそこからゲームを再開することになる。そんな感覚が重要なのではないか。事後的に形成される問題系にいかに惑わされずにいられるか。ある程度は不可避となる理念と現実の混同からいかに肯定的な結論を導くか。
本当にやりたいこと なぞそもそも存在するのか。夢を追いかける必要なぞあるのか。


業田 自虐の詩 昼ドラ母親失格 力技ではない形での永劫回帰の肯定
結局現実問題、なんとか生き延びているというところから翻って全的肯定へ

二人称の思考 豊田 松尾 ペギオ
もがきつつも結局は生きているということによって変化を受け入れる事