偽日記引用
●これらの文章のあまりに力に、ぼくは目眩と恐怖とを感じつつも魅了され、その場に何度も引き戻される。(それはぼくが樫村晴香に転移しているということなのか。)これらの文章にはおそらく樫村氏の「症候」がはっきりと記されている。だからこそここまでの密度があるのだろう。例えば、次に引用するマルクス・アウレリウスについて述べた部分などは、樫村氏が自分自身について語っているとしか思えない。
●《しかし例えばマルクス・アウレリウスは彼自身の症候を明確に保持しており、それは第一に彼が『自省録』を書き続けたこと、次に妻への愛である。彼は言う。「人間には人間的でないことは生じない。牝牛には牝牛に自然でないこと、葡萄には葡萄に自然でないこと、石には石に特有でないことは生じない。生じることは全て自然であり、君は不平を言うべきでない」。転移を遠ざけ、人間を客体化した彼にとって、人間の全ての愚かしさは必然的連関の中にあり、了解可能である。しかしこの文が本当に言うのは、人間も牝牛も葡萄も石も同じだという、存在への無関心と失意であり、それ以上に、そのことを牝牛や葡萄に向けてくり返し言い、反復し循環し、欲動に回帰し退行することで子供じみた復讐をなしとげる、その感覚の幸福である。》
(「ストア派アリストテレス 連続性の時代」)