今日は、久々に親と口論になり、つい激高してしまった。基本的にもう怒ることはないと思っていたのだが、まだまだ未熟な部分が残っているようだ。
口論のこともあり、「意見の不一致」についてこれまた久々に考えた。マイケルズ本に従うなら、現在は「意見の不一致」がもはや見られない時代であり、相容れない意見A,Bの間には差異があるだけで、どちらかの意見が他方より価値がある、優れたものだ、という立場はもはや取ることができない。そうなると、相手を負かそうとする、自分の価値観に相手を従わせようとするような議論はおのずから不毛なものになる。自らの考え方と相容れない発想を、理解できないからヒステリックに否定する、という心情は、わからなくはないのだが、そういう態度を親に取られると、さすがに動揺する。

今日は偶然、家族全員と真剣な話を長々としたが、コミュニケーションの難しさを痛感させられた。親との話し合いは、感情的にならないように落ち着いていくら話したとしても、平行線をたどる気がするのは残念。

発表準備に忙しいのに、色々とめんどうなことが多くて困る。