上野修 スピノザの世界 神あるいは自然

上に書いた文章もスピノザ的な立場からの批判って感じがする。
ようは理性というのはそれを仮に「独立させて取り出せば」こういう構造を持ってますよ、というのをユークリッド幾何学的な閉鎖系論理として提出したのがエチカなんではないか、と思っている。今のところ。

そこから理性を相対化することで、器質性の秩序というか、分裂病的、身体性がどうこう、みたいな人間が特に文化的構築物に囲まれて日々生活していると見失いがちな、動物としての生の次元に、必要十分な注意を向けることが出来るようになる。はず。そうするとバランスが取れるようになって、誇大妄想、トンデモ、カルト的な方向には流れることなく、かつなんも考えないわけではない、という中庸な感じに到達できる。はず。

女の子がすごいのは、(というかジェンダーバイアスに配慮するなら女性性、ということになるがまあそれはどうでもよいか)、男に比べると、理性的な部分、つまり神経症的な面が少ない感じがすること。なんも考えず日々幸せ、みたいな感じに対する憧れはやっぱりあるなあ、という風に思うが、これはおそらく純粋な女性性は想像上の存在でしかない、つまり完全な分裂病は存在しない、みたいな話につながるとは思うのだが上手く言えないなあ。なんというか不思議ちゃん好き、ってのも否定神学ナルシシズムの発露にすぎない面がなくもない、ってのが恐いなあ。