武富健治 鈴木先生 〜3

吉田先生的に言うと、余生の感覚がある。
様々な狂気のありようを、最終的な地点では客観視しているような、作者のある種の諦めにも似た達観した姿勢を感じる。
あらゆる狂気を飲み込む正気。それがあるからこそ、シビアな問題を描きつつも、ある程度のユーモアがある、エンタテイメント作品に仕上がっているのだと思う。
笑いには第三者的視点が必ず必要となるのだが、この作品の場合、作者はあらゆる登場人物の狂気に対して常に第三者的な冷静な視点をキープしているので、笑いが生まれる。しかし、読者にとっては、先生側のみならず、中学生達のある種の幼稚さを含んだ精神の揺れに対しても、必ずしも客観視して見られない部分があるので、安心して彼等の醜態を嗤うことが出来ない。そこがこの作品の唯一無二の魅力へとつながっているように思う。
三巻の鈴木先生の発言ではないが、あらゆる登場人物が、書割として、自分とは関係ないものとしては、見られないように造型されており、その一方で、完全な共感、感情移入もまた困難になるよう、主要人物にはどこか謎めいた部分が、それもかなり誇張された形で(わかりやすい笑いを誘うように)描かれている。それにより、読者は常にあらゆる登場人物に対して、全面的な共感も敵意も持てず、宙吊りの状態を強いられながら、どこか煮え切らない感覚と共に笑い続けるしかなくなる。