橋口亮輔 ぐるりのこと

まず序盤のカナオと翔子が口論する場面がすごくよかった。お得意の長廻しで、些細な夫婦喧嘩の一場面が演じられるんだけど、ちょっとした会話の間であるとか、二人の掛け合いの呼吸なんかが実に絶妙で、クスクス笑いながら観ていた。entaxiかなにかで監督とリリー氏の対談を読んだ際に出ていた話だったと思うが、撮影に入る前にリリー氏と木村多江さんは、「学生時代から付き合ったり別れたりを繰り返してきた、共に多くの時間を過ごしてきたカップル」を演じるために、撮影に入る前に一月以上、監督を交えて恋人としてのロールプレイを続けていたのだという。そういった丹念な演出の効果からか、喧嘩の場面からは、一朝一夕ではとても醸し出されないような、二人の呼吸の微妙なシンクロ具合が、実にリアルな感覚として感じられた。

後もう一つ印象的な場面といえばやはりラスト近くでの家族が集合しての長廻しのシーンか。ハッシュ同様、家族皆が捉えられた長まわしショットがひたすら続く中で、それぞれが思いのたけをぶちまける。母親が父との離婚の真相をついに娘に対して告白できたそのとき、彼女が家族の反対を押し切り家に持ち込んでいた新興宗教の御守りの壺が遊んでいた子供によって割られてしまう。まああまりにもあからさまな象徴性を持たせたシーンではあったが、タメが効いた後に最後に壺が割れる強烈な音とともに場面が切り替わる、というのは上手い演出だなーと思った。

木村多江の鬱演技は見ていてつらいほど。流産を機に、というのはなんともリアルで、身に迫るもんがあった。なんというか全体の設定が、自分のもうありえないがひょっとしたらありえたかもしれない未来と重なってくるようにも見えてしまって、まあ安い感傷を投影してしまったというだけのことなんだが、色々と複雑な思いで観ていた。鍋の最中に上の空になったりキレたりする場面、ひどい本のサイン会で発作が起き、本屋の中でしゃがみこんで泣き出してしまう場面、会社辞めて引きこもり中、帰ってきた旦那のカナオに切れる場面、など、特にきつかった。

学生時代以来、久々に絵を描く場を見出し、そこに熱中していく中で、少しずつ彼女の病状が緩解し、生きる元気を取り戻していく過程の描写も、まあイデオロギー色というか、若干スローライフ礼賛的な雰囲気も感じないことはなかったが、概ね非常に好感を持てる感じだった。中でも庭で野菜を育て始めるくだりで、トマトをかじりながらカナオが「生き物の味がする。」とぼそっとつぶやくくだりは素晴らしかった。長廻しの多用でドキュメンタリー的な雰囲気をわずかに醸し出しつつも明確な演出意図があるのが、彼の映画だと思うが、僕は彼の持っている感覚が非常に好きなので、ハッシュにしろ本作にしろ、とても心に響いてくるのだろうと思う。結局趣味というか考え方が似ている、という話になるんだが。

長めの上映時間だったが、一切長さを感じなかった。むしろ終了時に早いな、と思ったほど。
本作でのリリー氏の演技は実に素晴らしかったと思う。盲獣VS一寸法師の時とはえらい違い。あと、ハッシュ組のカメオ出演はファンとしては嬉しいものがあった。特に片岡礼子は一瞬の出番ながら狂気をはらんだ被告役の演技は恐ろしいほどの迫力だった。さすが名女優。

映画が公開された時期、環境については、宮崎勤事件やオウム、宅間守事件など、実社会の印象的事件と対応させる形で進むストーリー展開を持ったこの映画が公開されるのとほぼ同時に、奇しくも秋葉原で例の事件が起こってしまったことには、複雑な気持ちにさせられた。

あと一つ気になることとして、本作もノベライズ本が監督自身によって書かれているようだが、たしかハッシュの小説版は一応読んだ記憶があるが、映画では微妙な演出で言葉にせずに雰囲気を掬い取っていた部分が全て言語化されていたことで、非常に陳腐な話になってしまっていた気がする。まあ多分これのノベライズは読まないが、そのあたりの微妙な感覚、ってのはなんなのか、自分の趣味趣向を探る意味でももう少し考えてもいいかな、と思う。