16日
昼ごろ起きる。夕方外出。必要な本を買ってどこかで読もうと思っていたのだが、近所の本屋を全てまわっても欲しい本が一冊も見つからない。大都市圏でこれでは、地方に住む人は大変だろうな、と思う。あと十年ぐらいしたら、古い本を買うにはアマゾンかブックオフしか選択肢がなくなってしまうのかもしれない。読みたい本も読めないそんな世の中はポイズン。今必要な本はなくても、いずれ読みたいと思っていた本は見つかってしまうもので、五冊ほど購入。全部古本。フェルディドゥルケをそれなりに安く買えたのは収穫だった。ミズマアートギャラリーで池田学展。わりと大きなサイズの作品にもかかわらず、細部の書き込みが異常なほど緻密。まあ、だから細密画っていうんだろ、って話なんだろうけど。よく見るとペンギンがサーフィンをしているコミカルな表現が組み込まれているんだけど、遠くから作品全体を一望する限りではそれには絶対に気づかない、そのぐらいのレベルの細かさ。作品との距離によって印象ががらりと変わる、というのが面白さなのだろうが、正直よくわからなかった。全体のイメージには、どことなく昔はまったRPGゲームの風景や、宮崎駿映画なんかを思い起こさせるものがあった。
帰って食事。食後スクエアにてナンバーを流し読み。サイドバック論、ゼロトップ論がオモロ。

再び家に戻り以後読書。ジジェク「脆弱なる絶対」を途中まで。美術史におけるモダニズム以前/以後に関する話には、かなり最近の興味とリンクする部分あり。クールベ「世界の起源」の所有者がラカンであった、というエピソードはあまりにもできすぎな感じもしたが、非常に興味をそそられた。しかも、ネットで調べてみたところ、ラカンはその絵を別荘に飾る際、義兄の画家アンドレ・マッソンに、「世界の起源」を隠すための絵と、二重の額縁の制作を依頼したんだとか。実際にラカンがその二重の絵を飾っていた様子が再現されているページによると、このような感じだったようだ。
http://www.lacan.com/courbet.htm
単にこの絵の所有者だった、というだけでも十分にできすぎた話だというのに、まだ先があったとは。

どう考えてもそろそろ卒論の翻訳にとりかからないとまずいことになる。というかすでになっている。