17日
そろそろ日記の形式を変えるかもしれない。自分用のメモを日本語の読み書き能力を持つ人間全員に向けて公開する意味が全くないことは火を見るより明らかなので。とりあえず卒論完成までは、ワード検索が結構役に立つ場合があるのでこの形式でオープンで書き続けて、その後はクローズに戻すか他サイトに移行予定。何か書くならば、そろそろ読む人間が一人でも存在することを想定したものを書くことにしたい。

今日は昼過ぎに起きて冷凍スパゲッティ。雨の中学校へ。斉藤環先生のゲスト講義。鏡像段階の基本的な説明あたりから入って、おたくカルチャーとアウトサイダー・アートの話まで。様々な本で展開されている氏の議論のさわりの部分を、軽くさらうような内容だったため、そこまで得るものはなかった。先日展示で観て気に入ったアドルフ・ヴェルフリについて触れていた。やはりダーガー並にその筋では有名な人だったようだ。視覚表現と聴覚表現の対比に関する話で、「全ての芸術は音楽を目指す」という昔の評論家の言葉が引用されていた。これはまさに小説家や画家が生涯抱えるジレンマなんだろうなあ、と思う。保坂氏の小説論の本なんか、タイトルからもろそういう感じだし。その点講師のお二人は、音楽家、という立場に立脚しつつ文筆を行っているので、そこまで言葉を使って音楽的な表現を試みることに対するオブセッションがないんだろう。

音楽においてアウトサイダー的な表現をしている人はほとんどいない、という話題が出ていたので、シャッグスダニエル・ジョンストンについて、そのあたりの音楽に詳しい講師の先生に質問してみたところ、シャッグスはパーソナリティー的には何の問題もない女の子達だった、とのこと。そんなわけないと思っていただけに驚いた。

図書館で新潮2008年11月号、あと何冊か、少しずつ読んだ。古谷×保坂対談と、古谷氏による「衆生の倫理」書評など。後者はなるほど細かく読んでるな、という感じ。精神分析神秘主義化し、神秘主義精神分析化する部分の強引さが、面白いポイントでもあり、危うさを含んでいる部分でもある、というお話。「母子一体のガチな濃密感」がらみの記述にラカン理論の誤認がある、という指摘については後で確認できたらしよう。多分めんどいからしないが。

五反田に移動、久々に「うどん」へ。冬の夜カレー。具は牡蠣のみというストイック極まりないメニュー。その分全神経をスープの風味に集中させて食べた。ここでカレーを食べた後は必ず多幸感に襲われる。食後の満足感にひたりつつ、コートのポケット全開で歩いていたら煙草を箱ごと落としてしまった。

目黒へ。目黒シネマ、ラスト一本でクリストファー・ノーランダークナイト」を。大体思ったとおりの映画だったが、善悪の境界を揺さぶる意識の徹底ぶりは予想をはるかに超えるものだった。そこまで追い詰めちゃうのか、と驚いてしまうほどの追い詰めぶり。個人的には、とことん追い詰めるよりも、適度にユーモアでくるんだティム・バートン版のが好みだが、この徹底ぶりは素直に凄いと思った。

帰宅後、卒論に取り掛かりたくないがために長時間ネット。80年代クラブカルチャーについての記事を読んで複雑な気持ちになったり、内田樹の「日本の外国文学研究が滅びるとき」http://blog.tatsuru.com/2008/12/17_1610.php を読んで、わりと反論のしようがないなあと思って落ち込むと同時に、これを読んだ直後に自分の卒論の英訳をするというのは皮肉にもほどがあるなあと思ったらマジで嫌になってきたので酒飲もう。