クリストファー・ノーラン ダークナイト

ネタバレ。メモ。

カット、テンポ
まず目に付いたのは、速さ。カット数は相当多そう。目がチカチカする場面も何箇所かあった。カーチェイスのところなんか、すごい金かかってるし、車がいっぱいぶっ飛んで愉快なんだけど、さすがにカット割りが速過ぎやしないか、と思った。何が起きてるのかすら把握できないところもあったし。
二時間半もあったとはまるで感じさせないテンポ。とにかく、落ち着くということが一瞬もない。台詞、出来事の応酬がすさまじいハイペースで続く。会話の内容は洒落ていて知的な感じなんだけど、余裕は一切感じられなかった。ドラマのグレイズ・アナトミーなんかをたまにチラチラ観ていても似たような感覚があるように思うが、とにかく何でも、もっと、もっと、で過激化していくしかないから、しょうがないんだろうけど、速いなー、というのは終始感じていた。こんなに文章をぐだぐだたくさん書いてしまっているのも、映画のペースにある程度脳が同期させられてしまったから、という面があるだろうし。
内容面でも速さの面でも、シャマランのアンブレイカブルと比べると面白そう。アンブレイカブルは、バットマン等のDCコミックが元ネタなので当たり前といえば当たり前なんだけど。例えばあの映画ではブルースウィリスがバーベルを上げているだけのシーンを十分ほど見せておいて、そのしょぼいシーンを演出力で重要なものに仕上げたりしているわけで、いかに向いているベクトルが違うか、ということは言えそう。


アクション
アクションシーンは、過剰すぎる気はしたがなんだかんだで楽しんだところも多し。マイアミ・バイスみたいなキメ感もあって、なかなか洒落ている場面も随所に。台湾の場面で飛行機にフック引っ掛けてすっ飛んでいくところとか、最後のほうでジョーカーが潜伏してるビルに突っ込んでいく一連の流れとか。

俳優
かなり深く役になりきって演技をする憑依型の役者だったらしい、ヒース・レジャーは本作含む二作の問題含みの役柄に深入りしすぎたのと、私生活での不調が重なって精神を病んで亡くなってしまったそうで。そういう話を聴くと、こんな過剰な映画を作ること、それを嬉々としてエンタテイメント作品として楽しむことは、果たして健全なのかどうか、と考えたくもなる。まあそのあたりはもうアメリカさんは後戻りできないポイントを突き抜けてしまっているんだろうけど。確かにベタな言い方だが鬼気迫るものは強く感じる演技だった。個人的にはげらげら笑い続けるニコルソン版ブルースのほうがよっぽど恐かったが。
もはや単純に正義の味方とは呼べない混乱した要素の強く出たバットマン、ブルース役のクリスチャン・ベールも実の家族への傷害事件が明るみに出たりしていたし、何か色々と周辺情報にも恐いものがある映画である。あからさまにリアリズム路線をとっていること、主演二人が映画同様の狂気を実生活で発していること、などから、映画が現実を模倣するのか、現実が映画を模倣するのか、みたいなよくある話にも容易につなげられてしまうんだろう。それがいいのか悪いのかはよくわからんけど。

形式、周辺
とにかく現在のハリウッド大作マナーにのっとって作られている。カット割りの速さしかり、でかいもん、高価なモンをどんどん爆破していく見境のなさしかり。
特注のでかいカメラなんかも使ってるそうで、臨場感あふれる!ド迫力の!!(棒読みで)映像、ってかんじー、だった。


内容
複雑でもないがよく練られたプロットで、ほとんどスキなし、という感じ。
ジジェク先生ならなんと言うだろう、と転移丸出しで観ていたが、多分自分の能力では、その辺を予想するにしても、丸一日ぐらい死ぬほど真剣に頭をひねって、一つか二つ、それっぽい視点を出すぐらいが限界なので、今は無理。
とにかくバットマンの偽善ぶりがすごいことになっていた。一番象徴的かつ見事だったのは、ジョーカーがギリギリまで彼を追い詰めて、検事デントか好きな女レイチェル、助けられるのは片方だけ、さあ選べ、と強制する場面。二人の場所を同時に教えるも、双方はある程度はなれているので助けに向かえるのは片方、という塩梅。レイチェルを選択するバットマンに、観ていてあーあ、やっちゃたよこれ、とがっかり。するとジョーカーは周到なもんで、その答えを読み切り、あえて二人の居場所を逆に教えていたという罠。女だと思って急いで駆け寄ったら検事で、彼助けてるうちに最愛の女性は爆死。死ぬ前に受け取っていた手紙には、彼女はブルースではなくデントを選んだ旨が記され、その理由には、街がバットマンを必要としなくなることはあっても、あなたがバットマンを捨てることはできないでしょう云々、というさんざんぶり。しかしその手紙をあずかった執事のアルフレッドが手紙をブルースに見せる前に、ブルースは彼女は僕を選んでいた、このことはデントには黙っていなくちゃ、などと馬鹿丸出しの痛い発言、これを聞いた執事は事の次第を察知、最後には手紙を燃やす。
レイチェルをめぐるブルースのダメぶり、ともう一つ重要だったのは、検事デントとの絡みか。お互い、それぞれの思惑もありつつ、一度ずつ相手になりすます。
二度にわたって出てくる、ジョーカーの偽トラウマ告白シーンもまあ狙いすぎという気もしたがオモロ。口の傷の由来についてのそれっぽい物語、自分語りをするんだけど、二度目は一度目と矛盾する話をしていて、ああ嘘なのね、とわかる。

オチのつけかたは、まあ超バッドエンドにしない範囲で深刻さを残して終わらせるならこの方向性しかないわな、という感じがしたが、やや物足りなさを感じたのも確か。徹底してリアリズム路線で来て、ギリギリまで追い詰めたところで、結局は幻想、嘘が必要、という流れに向かう、という皮肉はまあ笑えたが。ここから続編でまた傑作を作ることができれば本当に脱帽だが厳しいだろうな。開き直ってめちゃめちゃこれは単なる作りばなしでっせーという雰囲気を前面に押し出して撮ったら面白いと思うけどまあしないだろうし。

9.11の影響、とかいう面で見てもシャマランとの対比は意味を持ちそう。アンブレイカブルは、9.11を予見していたといえなくもないし。この映画はアメリカで確か歴代最高の興行収入を記録していたはずだが、観に行ったアメリカ人の客達の果たして何割が、バットマンアメリカ、という構図をある面では認めて作品に接していたのか、というのはすごく気になる。映画館に展示されていた、新聞の切り抜き記事によれば、保守系のアホな人達の中に、バットマンは本当の正義を行っているのに、周りにはどうしてそれが伝わらないんだ、バットマンとはブッシュ様のことを表しているんじゃないのか、といった、本気で言っているとしたら背筋が凍るほど恐ろしい発言をしている輩がいたとか。凄い国だ。


ここまで追い詰めて作品として昇華した、という意味では映画史にも残るような傑作、なのかもしれないが、支持するかしないか、でいえば支持はしたくない感じの一本だった。ユーモアを使って、倦怠からの撤退をとっとと実現しないとまずいことになると思う。
公開後に金融バブルがはじけて大恐慌が来て、という2008年のアメリカを象徴する一本として、後々後世にわたるまで人々の記憶に残る映画になるかもしれないな、などとも思った。どうせここまで追い詰めたんだったら、完全に突き抜けてポニョぐらいまでいってほしいものだ。