聖母エヴァンゲリオン 小谷真理

ジャーディンの発明した「ガイネーシス」(≒女性的なもの)というタームを軸に、クリステヴァ、イリガライ等の議論を援用しつつ、フェミニズム精神分析の領域からエヴァを論じている。どうせこじつけまくりなんだろうとタカをくくって読み始めたのだが、全然そんなことはなく、非常に説得力のある解釈がなされていた。

フェミニズム精神分析の相性の良さについては、今まで全く考えが及んでいなかった。ようするに簡単に言ってしまうと、「理性」あるいは「意識」対「無意識」の対立関係は、「男性」対「女性」の対立と大部分パラレルに考えることが出来るので、精神分析の議論をそのままフェミニズムジェンダー論にスライドさせることが可能となる、という感じである。さらにこの発想を拡大すると、非常に大雑把ではあるが、下のような二項対立図式が導きだせる。

男性/理性/秩序/西洋/近代 <―> 女性/無意識/混沌/東洋/ポスト近代

こう考えると、自分の興味ともけっこうリンクしてくる。最近のジェンダー・フリーという用語をめぐるトラブルなんかを見ていると、なんかアホ臭くて、やっぱりどうしてもフェミニズム的なものは肌にあわんな、と思っていたが、考えようによっては自分の興味ある領域にも引きつけられるかもな、と考え直した。

エヴァグノーシス的側面についての言及はそれなりに興味深かったが、いかんせん聖書の知識が浅すぎるので、わかったようなことは言えん。今のところ。

コンピューター・マギかなんかと絡めて二項対立ではない三位一体的な思考のあり方について考えている箇所もかなりおもしろかったが、こちらも知識不足か。キリスト教と資本主義のシステムは共に三位一体を基本とするという点において親和性が高い、といったトピックが思い出されるところだが、中沢の議論で読んだだけで、マルクスウェーバーも未読だから、なんとも言えん。