新宮一成 ラカンの精神分析

読後、ラカンについて、少なくとも何となくわかった気にはなれるように書かれている。ということは、かなりわかりやすい説明がなされているということなんだろう。おそらく。
鏡像段階象徴界現実界に関する部分は、わずかながらも予備知識があったのでまあすんなり読めた。数式や記号が絡んでくる部分に関しては、完全に理解できたとは思えないが、何となく雰囲気ぐらいは掴めたかな、という感じ。

対象a黄金比の関係を説明し、それを「愛」についての思索と結び付けている箇所は、新宮氏の文章のうまさもあって、胸に響いた。感動的ですらあった。
いくつか印象的だった記述を引用しておきたい。

僕にとっての彼女はa、黄金数。そして、神様にとっての僕もa、黄金数。アガペーとエロスの幸いなる一致。2分のルート5マイナス1が「無理数」だというのはちょっと不安だけれど、何はともあれ「実数」だ。ピタゴラスの定理を使って数直線上に作図することだってできる。不合理なれど存在す。愛は、神様に愛されるように彼女を愛することなんだ、と納得できる。 (p99)

ラカンは「愛」の中には、偶然が必然に変わる瞬間が含まれていると言う。「愛」は、結局はその移行の瞬間そのもののことなのかもしれない。あまりに多くのことがら、たとえば今日雪が降るというようなことにも何らかの必然性を求めたくなるとき、人は迷信深い人と呼ばれる。しかし、「愛」についてだけはどうやらそうではない。その必然性の強度を人々に向かって演出してみせる神前の儀式のために、我々は法外な支出も辞さない。〜 我々は、愛という名のもとに、自己と世界との関係の中に必然性を導入せずにはいられない。エディプス期を通過することによって、人間の欲望は必然性への希求と一体になり、愛という超合金を生んだのだ。(p288〜289)

このあたり、文章のカッコよさが半端ではない。

その他内容面では、「バルーン」等との絡みで、浮遊するシニフィアンと主体うんぬんのくだりも参考になった。また、前々から少し頭にあった禅との類似性について、結構言及されていたのには驚いた。二つ目の引用部周辺での、必然性に関するくだりで「縁」について言及されている部分も、「中論」の縁起思想とつながってくる気がするし、西欧の最先端の思想が東洋の神秘主義思想と似てくる、という動きはなくもないんじゃないか、という気が。
まあ厳密に見ていくとあんま比較対象にはふさわしくないんだろうが。