ロバート・アルトマン ショートカッツ

ロサンゼルスを舞台に、そこに暮す人々の悲喜こもごもを、並列的に描いた群像劇。非常に多くの人物が出てくるわりには、観客が混乱してしまうような要素はなかった。そのあたりは編集の上手さを感じた。

一つの街を舞台にしたオムニバス風の作りで、時々人物が交錯するというパターンは比較的よくあるが、それを同時並行的に描いて成功している映画はそれほど多くないように思う。タイトル通り、非常に短いカットをつなげながら少しずつそれぞれの物語が展開していく、というのはあまり観たことのないパターンで新鮮だった。

全体から受けた印象としては、「マグノリア」なんかとの近さを強く感じた。
ただ、似たような状況を描いてはいるものの、今作のほうがより狭い範囲に登場人物が集中しているため、それぞれの物語がより強く交錯していて、有機的な関連を持っているように思った。とはいえ、もちろん今作の登場人物にしても全員顔見知りというわけでもないから、全ての人物の物語に関わってくるような、何らかの大規模な事件は当然必要となってくる。
マグノリア」の蛙にあたる今作の物語全体に関わるシーンは、冒頭の害虫のニュースがテレビで流れる場面と、ラストの地震の場面だった。最初と最後に全体に共通する出来事が配置されていることで、それぞれの物語がバラバラに無関係なものとして受け取られづらくなっていた。これはとても効果的な演出だったような気がする。

ラストの締め方も、「マグノリア」より好感が持てた。不仲だった夫婦が仲直りするケースもあれば、溝が深まってしまう場合もあり、娘や息子が死んでしまう人もいたり、犯罪に走ってしまう人もいる。一つの映画の中に、ハッピーエンドとバッドエンドを共存させる、という芸当はこういう形式を取りでもしない限り決して不可能だろう。見事な落とし方だった。

エンディングで落ち目のジャズ歌手のおばちゃんによって歌われていたように、人生はある瞬間幸福だと思っても、次の瞬間には何が起こるかわからないし、その逆もまた然り、といったものである。そのことは、劇中で描かれたそれぞれの物語の展開を観れば痛いほどよくわかる。結局は偶然性によって人生は支配されているのだが、たとえサイの目がどう転んでも、我々はそれに従わざるを得ない。どんなにひどい事が起きようと、それでも基本的には生き続けるしかない我々は、誰もが「人生の奴隷」である、というおばちゃんの叫びは、しかし単に悲観的な嘆きではない。それは、奇跡や恩寵によって幸福が訪れる、などという御伽噺のような世界ではなく、我々が実際にこのどうしようもない世界で、しかしそれでも生き続けていくことを、あらゆる不条理を受け入れた上で力強く肯定する叫びなのである。

追記
劇中の死者に対する視点も非常に面白かった。多くの物語が並列的に語られる中で、ある物語において事件が発生し、誰かが不幸にも命を落とす。そこで、当然身近な人間の死にさらされた、同じ物語を共有する者達は悲しみにくれることになるのだが、その一方無関係な物語を生きる他の登場人物は、間接的な形でその死を知ったとしても、その事実に対してさしたる関心を持たない。ここには見知らぬ他人の死に対する我々の共感力、感受性のなさが見事に表現されているように思った。