セルゲイ・パラジャーノフ ざくろの色

これを果たして「映画」と呼んでよいものか。
誰もが一見してわかるように、映画製作において暗黙の了解となっているような約束事、映画史が積み重ねられていく中で徐々に形成されていったような映画の文法、そういったもの一切から完全に逸脱し切っている彼の映像表現は、「映画」という枠に当てはめて享受することが果たしてふさわしいのか、と考えさせられるほどに独創的で、奇妙なものだった。
まずそもそもこの作品には確固たる物語というものがない。大枠では一応線的な流れが存在するものの、一つのシーンから次のシーンへのつながりは、視覚イメージの連鎖でしかない。詩的なイメージが次々に現れては消えていく。そこには何の因果関係も論理的な展開も見られない。しかし、不思議なことにそれぞれのシーンが完全にぶつ切りのものとしては感じられず、特に違和感を感じずに観続けることができる。一体なぜか。
陳腐な喩えだが、彼の映画全体を包む空気感は、どことなく夢の世界に似通っているように思えた。物語の展開に沿ってシーンが積み重ねられていくのではなく、夢の進行がそうであるように、一つのシーンで現れたイメージから連想される、それとは直接関係のないイメージが、次のシーンを構成する、という手法をとっているところに彼の独創性があるのだと思う。

個々のシーンでは、人物とモノが、絵画にも似た計算しつくされた構図で映し出され、そこで単純な動きを繰り返す、というパターンが多かったように思う。全体的に鮮やかな色使いが印象的。ペルシャ絨毯、孔雀、馬、山羊の屠殺、ピエロなどが中でも特に強烈な印象。大体真正面からのカメラで、あまり動かさず長回し中心、というパターンが多かった。動物の使い方や、宗教的な側面など、部分的にホドロフスキーを思わせる部分もあった。