今日kamipro最新号を立ち読みしたのですが、森達也氏、菊地成孔氏らが亀田問題、秋山問題を中心に、朝青龍沢尻エリカ、安部元首相なども射程に入れつつ、「バッシング論」を展開しており、楽しく読みました。

菊地さんが、秋山、亀田両者に絡めて、おそらくは土居健郎ルース・ベネディクトを参照しつつ、日本の伝統的価値観である、「恥」の概念、「甘えの構造」に着目する一方、森氏はバッシング論の射程内に、安部元総理をもおさめることを提唱し、またバッシング加熱の裏にあるものとしては、アメリカ的な恐怖をきっかけとする仮想的捏造のサイクルが、日本にも浸透してきていることがあるのではないか、と指摘していました。

この二人の切り口の違いはなかなか面白かったです。どちらも同程度に正しいというか、おそらく僕の認識としては、最近のバッシング加熱の裏には、二人が言っていたことが、どちらもある程度含まれていると思います。勿論この二人がそれに気づいていないわけはないのだと思いますが、どちらから切っても説得力のある議論になる、というのは、今の日本の状況をよく表しているような気がします。ようするに、一方ではアメリカ化(「罪」の意識が重視される流れ)の波があり、ひょっとするとそれに対する無意識の反応として、従来の日本的な世間体重視の、「恥」や「甘え」を基調とした感覚も、アメリカ化同様に過激化しているという気がします。どっちの波も極端という感じがして、怖いです。

現在の秋山を受け入れられるかどうか、ってのは非常にデカイ気がします。それでその人の寛容さが計れるような気もします。