苫米地英人 洗脳原論

ホメオスタシス能力が情報空間にまで広がっている事から、人間は誰もが洗脳から逃れられない、という主張は、中論の縁起による相互依存の考え方や、片山氏の共鳴についての考えとつながる部分があるように思った。エリクソン派のぺーシング、リーディング技術なんかは、この本で触れられている範囲の知識しかないが、片山氏の整体の方法論と驚くほど似ている。そのあたりはエリクソン野口整体双方につながりを持つ名越先生あたりに話を聞いてみたい部分。総じて、術者がしっかりしていれば、言葉や身振りで相手の中に幻想を作って上手い方向に誘導出来る面もある、っちゅうことだろうか。言葉で意識化することの重要性、ってのは気になる部分だ。

あとはディベートと洗脳の関係についての記述が実にオモロだった。
ディベート同様、現実にも正しい価値、正しい考えといったものは存在しない、と断定するところまでいっちゃうと相対主義の罠に陥ったカルトになってしまう、とか。氏の立ち位置はおそらく、人を殺してはいけない、などの社会的常識は当然守った上で、後は信仰を持つなりは自由にしてくれ、という感じなんだろう。

カルトに至らずに、社会性を保った上で信仰を持つのは悪い事ではないだろう、とわたくしも思う今日この頃なのだ。
とりあえず三大宗教の教典はカルトに至らないよう随所に予防線が張ってあるはずだから、さっさと読みたい。