植島啓司 偶然のチカラ

名越氏なんかと親交がある宗教学者の新書。
偶然というものについて考えるときに、宗教的は発想は、偶然の運命化、という方向を取る。信仰というのはそういうものだから、だろう。おそらくは。
そういった視点からギャンブルなんかについて論じている部分は面白かったが、偶然の不条理的な側面に打ちひしがれている状況で読んだため、ブレの一切ない信の力に沿って書かれた本書のような本は傷口に塩を塗るような感じがして気持ちよくは読めなかった。ただ、ギャンブルについての記述にしてもそうだが、信の力が先にブレた方が負け、ってのは間違いなくあるだろうなあ、と思う。スポーツなんかにしても、特に個人競技だとメンタル勝負の側面が相当に強いように見えるが、それも同じことだろう。
自己催眠、洗脳的な面があっても、思い込む力が強いほうが勝つ、というのはある。間違いなく。そういえば以前少し立ち読みした、スポーツ心理学の本にも、色々その辺の流れで面白い情報がのっていた気がする。ゴルフのウッズなんかは、ミスショットしたときは五秒だけ怒りの感情を解放するようにしている、とか。溜め込むより、その場その場で発散したほうが、+に働くから、らしいが。
大きな物語、第三の審級、何と呼ぶにせよとにかくデカイ価値観を素朴に信じるのはもはや無理で、じゃあどうすんだってなったときに、自分ひとりの幻想世界に閉じこもることで安心する、ってなるとダーガーとか分裂病者になってしまうので、とりあえず何らかの形で出来る限り対幻想、共同幻想にコミットするしかないだろう。その際何を選んでも一緒なんだが、どうせなら大きくひろまってて出来のいい幻想のが好都合。ってなると三代宗教聖典は必読。という感じはずっとしている。

宗教の発想からは結局人間は逃げられないと思う。スピノザも言ってるように人間の頭で頑張ってモノを考えようとすれば、必然的に神を想定せざるを得なくなるだろうし。特定の宗教を信じるか、というのとは別の問題として、なんで宗教という発想に行かざるを得ないのか、というところを詰めていきたい。
結局「信の作用」には勝てないだろう、と個人的には思うけども。