花田清輝ユーモレスク

相反する二つの考え方、双方の力を最大限に高める事で、所謂「黄金の中庸」(ハクスレー)とは違う、動的な安定を得る方向性。すなわち、常に何かを考える際にはその逆を同時に思い描き、即その考え方を、考える主体としての自己を含めて、すぐさま相対化していくこと。これは多分チェスタトン先生の「正統とは何か」の考え方や、町田康「パンク侍〜」や、深沢七郎ジョン・ライドンブコウスキーあたりの生き方や、くーちゃんの笑いや、投げやりや、虚無や、繰り返される諸行無常や。に共通する志向だと思う。つまり、これこそが「パンク」の(反)思想に他ならない、はず。
この方向性は、ストア派的な平穏とは無縁。見た目には同じに見えるが、内実は正反対。チェスタトン先生のストア派批判、というのはつまりこのことを言っていたのだな、と今更ながら得心。

まあ小生としてはどっちの方向性もわかるというか、ちょうど一年前からこの前まではどっちかというとストア派的になっていた面が強いので、どっちにも対応できるようにしておきたいな、という感じ。今は完全にパンクスだけど。