エドガー・ライト ショーン・オブ・ザ・デッド

ゾンビ・コメディ映画。好きすぎる。自分も何らかの形で、生きているうちにこんな作品を世に残せたらいいなあと素直に憧れてしまうクオリティの高さ。英国式コメディの伝統はやはり生きているんだなあ、と。

共同脚本、主演を務めたサイモン・ペグ(ショーン)とその親友役にして現実でも大親友のニック・フロストエド)の、私生活そのまんまじゃないか、と疑いたくなる、絶妙な掛け合いがとにかく最高。もう今すぐ友達になって欲しい、って感じで。本筋も文句無しに面白いんだけど、下手したらそれ以上に魅力的なんじゃないか、というぐらい細部の一つ一つの小ネタがもう素晴らしい。特に音楽がらみのネタはツボに入るものが多かった。ゾンビを殺すためにレコードをぶん投げるくだりで、どのレコードなら捨てていいか二人で話し合う場面なんかでは、めちゃめちゃ笑ったし、クイーンの曲にあわせてゾンビをフルボッコするところ、あと思わぬ場面でコールドプレイが出てきたのもすごく良かった。

一方、主筋のほうは、真面目な見方から考えてもすごく興味深かった。共同脚本を担当した二人が愛する、ロメロ作品に代表されるアメリカのホラー映画に対して一部でなされるような、糞真面目な解釈を見事に笑い飛ばすオチのつけ方は、方向性自体に関してはある程度予想がつくものではあったが見事。さすがにあそこまで極端な感じで来るとは思わなかった。本来、何も考えず楽しむために観る映画であるはずのB級ホラー映画が、フロイトマルクスの議論でアメリカの他者恐怖の象徴、とか言って小難しく解釈、矮小化されることに対する反抗として完璧な出来。反抗、と言っても「否認」として解釈されてしまうほど、青筋立てて必死にフロイト的解釈を否定しようと頑張っている感じなどは微塵も無く、非常に肩の力が抜けた感じがあり、そこがまたいい。知的といえば知的だけど根底には愛すべき馬鹿っぽさがある、といった、いかにも英国的な笑いの感覚がありありと現れている気がした。

まあ、さらに無理をして解釈しようとすると、抑圧されたものが怪物として回帰するということを理解したうえで、それを無理に再び抑圧しに行くのではなく、笑いを挟むことで、その暴力性、強さ、を上手く和らげて消化する、という方向性をとっているというだけのことで、「機知の論理」なんかを引けば理論的に説明できないことは無いんだろうが、まあそんなことしても野暮だし、という感じか。バーセルミが「雪白姫」でポストに入っていた猿の手から意味を読み込まないように、と読者に語りかけているのと似たようなものだろう。

イギリスのロウワーミドルがパブに入り浸ってだべっている感じも上手く戯画化されていたように見えた。エドのダメ人間ぶりなんかは小生自身や周囲の友人達を思わせる部分が特にあって笑えた。全体を通じて、恐怖をある程度取り入れはするものの、笑いで優しくくるめる範囲までに限定する、という姿勢に強く共感した。少し笑いよりでバランスをとるのが楽しくていいよなあと思う。

余談だが、DVDの特典についていた、共同脚本二人の、脚本執筆前にアイディアを出し合ったクリップボードを公開して、二人がそれにコメントをつけていく映像がとても勉強になった。どちらかというと、ビジュアルから想像を膨らませるタイプではない二人は論文作成法なんかで習う、ブレインストーミング的な手法をわりと素直に使っていて、ぽんぽん出たアイディアをとにかく書き留めておいて、小ネタとしてまとめていた。あとは、劇中人物の性格造型について、劇中で言及されない細かい趣向などについて、やたら具体的な例を出して詰めていく事で人物像をリアルなものにしているようだった。