マグノリア ポール・トーマス・アンダーソン

三時間ぐらいあるが、脚本がよくできているので長さを全く感じさせない。ストーリーは途中までは現代アメリカ版「リバーズ・エッジ」といった趣。同時代性強し。ラストの急展開は色々な捉え方が出来るだろう。なんで蛙なのか、ってあたりも含めてこじつけじみた解釈を受け入れる余地は多そうだ。

終始天気の変化が登場人物達の心情を表すメタファーとして機能している。(最初が曇りで雨降って晴れて、っていう)これだけだとまあありがちな話なんだが、晴れた後に蛙が降ってくるわけで。これはどう捉えたらよいものやら。

最終的には、「家族」や「愛」を大切にしよう、みたいなハッピーエンドで終わっている。まあ、中盤までさんざんニヒリスティックな展開が続いた上での話なので、さほど説教臭さ、うさんくささは感じなかったが、素直に感情移入することはできなかった。ラストに関しては。

ただ、もちろんこういうハッピーエンドを全否定できるわけがないのもわかる。いくらポストモダンだとかなんとか言って、家父長制やロマンチック・ラブ・イデオロギーは失効したとか、エラそうにしたり顔で言ってみても、結局何かにすがらなきゃ生きていけない部分はあるわけだし。まあ言い方を変えれば、その対象が必ずしも「家族」や「愛」である必要はないともいえるわけだけど。

「偶然」だか「運命」だか知らんが、いずれにせよ、蛙が降るぐらいの「何か」が起きない限りどうにもならん、というほどに現代のアメリカはドン詰まりの状況に来ている、ということなのかもしれん。

「何か」が起きる可能性を捨てないこと、というのが大事なのかな。実際に起きるかは別としても。今日こそゴドーが来るんじゃないか、とわずかでも信じる心構えが、ニヒリズムに落ち込まないためには必要なのか。なかなか厳しい話のような気がするんだが、それは。


どうでもいいけど、トムクルーズのこの作品における役柄が、最近の奇行とリンクしすぎてて笑えた。というかカルト団体の教祖って時点でサイエントロジーともかぶるんだよく考えたら。

http://abcdane.net/blog/archives/200604/tom_abuse_kokuhaku.html
生い立ちもリンクしてやがる。ひょっとして監督はある程度事情知っててこんな役やらせたのか

追記5・25
どうやらストーリー展開に聖書との絡みがあるらしい。元ネタは聖書と有名オカルト本の組み合わせのようだ。やはり聖書読まんとダメだ。明らかに。

劇中に出てきた嘘のような事件は全て実際あった三面記事的なニュースからとってるらしい。その情報自体がうそ臭いが。多分奇跡のようなラストに多少の説得力を持たせるためだろう。成功してるのかは微妙なとこだが。