舞城王太郎 暗闇の中で子供

時代の空気を非常にうまく掬い取っている、ということになるんだろうか、やはり。どの作品も古谷実近作との近さを感じる、というあたりも含めて。
十年、二十年後にこれを読んだ若い世代の読者は、今の自分がW村上に対して感じるようななんとも言いがたい違和感を感じたりするのだろうか。よくわからん。

他の作品に比べると、やや自己言及的な記述が目立った気がした。三文ミステリ作家奈津川三郎の視点を通して、自らの創作や物語についての思索を語らせるという構成を用いていた。

彼がなぜミステリを書くのか、と言う部分が多少掴めたような感じがしたのが一番の収穫だった。嘘で本当のことを語ろうとする際に、出現するのが物語である、との主張のあとに述べられている部分が象徴的だった気がした。引用。

〜どのようにして俺はその嘘をほんとうのことと信じたのだろう?
それはきっと、俺がミステリ作家になったことと関係があるに違いない。俺は下らない推理小説をたくさん読んでしょうもない謎だのトリックだのをたくさん考えているうちに、きっと「合理的な解答の存在する可能性」をでっち上げることに慣れてしまったのだろう。

人間の合理的思考、理性に対する信頼が崩れてきている現代では、そういったものもカッコつきでなければ語ることができなくなっている、ちゅうことだろう。
推理小説という形式を用いることで、理性、合理性をカッコに入れつつもそれを利用して物語を作り出すことが出来るようになる、と言う感じか。

トラウマ、反復強迫罪と罰、みたいな視点からみてもよく出来ていた。
戦争のない時代だとやはり誰もが通るのは家族と異性関係のトラブルだ、ということだろう。