ガルシア・マルケス 百年の孤独

心から感銘を受けた作品に関しては何も書けないし、書きたくない、というのが昔からずっとあって、これについてもそうだったのだが、読んでから一ヶ月ほど経った状態で、少しだけ書いてみようと思う。
映画や漫画などの表現媒体がどんどん勢力を強めていく中で、小説が読まれなくなっていく、という今の状況は、文学畑にいる人間達にとっては由々しき事態なのかもしれないが、客観的に考えて当たり前のことだと思う。そういう状況で小説が生き残っていくとすれば、その道は、小説でしか出来ないことをいかに表現するか、という部分にしかないだろう。
本書はまさに小説でしか出来ない表現に満ちた作品だと思う。何といっても驚異的なのが、極度に圧縮、凝縮された文体である。ヘミングウェイなんかがよく使う、直接的な内面描写を廃して、事実の記述だけを積み重ねていくことで、そこから内面的なものを読者に想像させる、所謂リアリズム的(ハードボイルドと言ってもいいのか。わからんが)なスタイルをさらに洗練させたような、一切の無駄を削ぎ落とした文体とでも言えばいいか。ほとんど歴史書かと思うほどに無駄な記述が少ないため、物語内の時間の流れもまた、非常に圧縮された形で感じられる。

その文体を用いて、一族の誕生から破滅まで、架空の街マコンドを舞台に、回帰、反復をひたすら繰り返す彼等の歴史を、見事に描き切っている。仕事、政治、男女関係。要するに描かれているのは、それだけである。革命と保守が交代で双方に対する揺り戻しとして台頭してくる過程であるとか、恋が成就したりしなかったりする過程であるとか、仕事がなぜか上手くいって金持ちになったり、理由もなく環境のせいで仕事が上手くいかず貧乏になったりする過程であるとかが、何度も何度も描かれる。
ひたすら似たような問題で悩み、傷つく人間達が執拗に描かれることで、結局世の中を支配している法則が偶然性であるという事実が浮かび上がってくる。
登場人物の感情の機微を見事に言い表すような、所謂文学的比喩表現は本作にはほとんど出てこない。しかしまぎれもなくここには人生そのものが描かれている。
マルケスと共にラテンアメリカ文学を代表する作家とされるボルヘスの短編に、バベルの図書館という作品がある。どこからどこまでが全体か誰も把握していない広大な図書館の中で、世界の仕組みがそれ一冊の中に完全に記されている、そんな究極の本を捜し求める人間達の物語である。その作品においてはその本が見つかることはないのだが、もしそんな本が実在するとすれば、おそらくそれは本作のような本なのではないだろうか。そう思わせるだけの凄味が、この作品にはある。