ポール・トーマス・アンダーソン パンチドランク・ラブ

とにかく奇妙な映画だった。アダム・サンドラー演じる主人公は、今時珍しい純粋さを持った男だが、その反面女性に対して苦手意識が強く、また時折キレて物を破壊してしまう癖があったりと、様々な面における不器用さをも持ち合わせている。そんな彼の直情的な行動は狂気スレスレの領域に触れるが、あらわれた運命の女性との恋愛関係によりなんとかギリギリのところで収束する。

相手の信頼に付け込もうとする人間の汚さであるとか、相手の意図を過剰に裏読みして探りあうぎこちないコミュニケーションのあり方であるとか、例によって現代人の心の不安を誇張して、ある程度笑いに変えつつ戯画的に描くようなスタンスだった。

誰もが精神科医を必要としている、と言ってもあながち言いすぎではないほどに人々の心が荒み切っている状況を描きつつも、結局この監督は、なんとかその閉塞状況を打ち破る手立てを、たとえ映画という虚構空間の中だけの話であったとしても、打ちたてようとする。それは「マグノリア」においては蛙が空から降ってくるという三面記事的な奇跡であったし、本作では降って涌いたような偶然からはじまる恋愛であった。

そういったオチをどう捉えるか、というのは趣味の問題もあるんだろうが、彼の映画と似たような、現代人の精神的な閉塞状況を主要なテーマとして描きつつも、全く救いのない結末の映画を撮り続けているトッド・ソロンズのブラックな笑いの方を個人的には支持したい。PTアンダーソンはぬるすぎる気がする。いくらなんでも。救いがあるとすれば偶然性がらみ、ってのはわかるんだけど。

この映画に感じた奇妙さ、というのは、映画の本筋と全く関係のない細部の設定の数々に対してのものだろう。物語の中でなんの必然性も持たせられていない設定がやたらと多かった気がする。例えば、主人公が広告会社のミスに乗じて、プリンを買いまくってマイレージを貯めている、という設定なんか。(これは現実の三面記事にあった話らしい。)そう考えると、全て偶然性、というところに繋がってくる気もするが、だからと言ってその無意味さが上手くハマっているわけでもないというのが、なんとも。