土居健郎 甘えの構造

「甘え」という概念を中心に、フロイト精神分析理論を日本風にアレンジして再解釈した本。
第一章は序。第二章。日本語の表現における微妙なニュアンスの違いに着目した分析、「甘えの語彙」は見事。気がねする<=>気ままとか、「すまない」の分析とか。
ルースベネディクト「菊と刀」を引いて罪の文化と恥の文化の対比、という視点からアメリカと日本の状況を比較しているのは、岸田秀なんかと似た方向性。
恥を義理、人情といった概念を介して「甘え」と結びつけているところはオリジナリティがあったように思う。
続いて三章。甘えのそもそもの語源から説き起こす「甘えの言語的起源」が白眉。
乳児語ウマウマとの関連性の指摘、甘えのアマは天のアマではないか、との仮説から古事記にまでさかのぼって、古代日本における天は遊牧民的な「断絶の天」に対して「連続の天」と言える、という事実を確認。祖神天照大神が母性的な側面を強く持つことと甘えの語源になんらかの関連があるかもしれない、という可能性に言及して結び。
続く「甘えの心理的原型」では、甘えの定義を、「甘えるということは結局母子の分離の事実を心理的に否定しようとするものであり、」「甘えの心理は、人間存在につきものの分離の事実を否定し、分離の痛みを止揚しようとすることである」、としている。 (甘えの幼児性を主張?)

そういった甘えの心理は非論理的であり、禅的、東洋的、女性的な日本的思惟の特徴を備えるものではないか。
わび、さび<−>いき
人界を避けて静寂を愛する心 <=> 生の甘えにしばしば伴う泥臭さを抜きにして生きることの審美感、「垢抜けして、張のある、色っぽさ」(九鬼)
大和民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明のひとつ」、「いき」は渋味および甘みとともに「異性的特殊存在の様態」であり、 「甘み」を常態と考えて、対他的消極性の方向に移り行くときに、いきを経て渋味にいたる路がある」

もののあはれ

日本的甘えの特徴を漱石「坊ちゃん」から分析
「気の概念」にふれた後、気の滞りから鬱病神経症の分析に移る。
森田療法フロイト
くやしい、くやむ の分析
「くやみが精神の全体を侵した時が鬱病である、ということができよう。」
「ところでこのくやみの発達過程を図式的に説明すると、まず甘えられないということがあって、そこで気が済むように試みるが、なかなかきがすまないのでくやしく感じ、くやしくてもどうにもならぬ時にくやむことになるといえるのである。」149

「現代人の疎外感」「父なき社会」「子供の世界」