コンドームの普及こそ最大の罪なのかもしれない。
あんなもんがあるから恋愛などという厄介な観念が必要となってくるのだ。おそらく。
今日接した二作品にもあからさまに出ていたし、古事記や創世記なんかの書かれ方を考えてみても明らかなことだが、人間の一生などというものは、所詮セックスと戦争の二要素だけで語りつくせる。というかその二要素は人間に限らず有性生物なら必ず経験するものだ。要するに生物として不可避な二要素と言える。その土台があってはじめて人間ならではの、無駄に肥大化した脳味噌をフル活用した結果現れてきた、「理性」とか「真理」といった下らない要素が存在することが可能となる。はずである。本来は。
ところが今の世の中は文化装置が発達しすぎているせいで、どんどん生物として本質的に重要な二要素の比重が明らかに少なくなってきている。そして終いには純愛がどうのこうのとか、ラブアンドピースとか言い出してしまうわけである。
「出来ちゃった結婚」という言葉のどう考えてもマイナスにしか感じられない語感、イメージ。これはそろそろなんとかすべきだろう。辻ちゃんに避妊はしたんですかとか聞くワイドショーのレポーターがまるで糾弾されないこんな世の中はポイズンにも程がある。何となくノリで子供作っちゃって、まあしゃあないから仕事がんばるか、みたいな生き方を俺は絶対に否定的に見たくない。結果的にそういう生き方になってもいいと心から思う。
無駄に進歩的なカップルを気取ってお互い浮気自由、束縛しない、とか言って結婚しても子供作らずに何年か過ごして、こじれて離婚とか、そんないかにも現代風な生き方なぞ、死んでもしたくない。それで精神科通って分析受けてアスピリン常用して、幸せってなんだろう、とか考えて、結局良くわかんないや。でも過去に後悔はしてないつもり。強がりじゃなくて。なんつって。アホか、と。馬鹿の考え休むに似たり、という言葉を肝に銘じて俺は人間である前に有性生物の一個体としてしっかりと生きていきたい。