トーベ・ヤンソン たのしいムーミン一家

ヤンソンはこの作品ではじめて人生肯定的な結末を迎える物語を書き上げることができたらしい。それまでの作品には第二次大戦におけるフィンランドの惨状が色濃く反映されていて、童話なのに絶望的な結末だったとか。本作もかなり諦観に近いものを感じるところが随所にあったが、それでも最終的にはいい話にまとまっていた。これを書き上げることで、彼女は大きな山を越えたんだろうと思う。彼女が孤島の電気すら通らない別荘にこもって、そこで命を削るようにしてムーミンを書いていたことは、知る人ぞ知る逸話だが、一冊読んでみて、そのエピソードが非常に納得いくものだと思えた。鬼気迫るものを感じた。

生涯をかけて捜し求めてきた「ルビーの王様」を発見した飛行おにがムーミン谷の住人達のパーティーにやってくる。ルビーを譲ってくれるよう嘆願する飛行おには、しかしそれがトフスラン、ビフスランの宝物であることを知ると、自らの願いを諦め、代わりにムーミン谷の住人達の願いを一つずつ叶えてゆく。いつも「すべてがむだであることについて」という本を読み思索にふけっていた、哲学者のじゃこうねずみには「すべてが役に立つことについて」という本を代わりに贈る。飛行おにの贈与は、やがて自らに反転し、感動的な結末が訪れる。

「あなたは、じぶんでじぶんののぞみをかなえることはできないの?」
と、ビフスランがききました。
「それはできんのじゃ。わしはただ、ほかのものののぞみをかなえてやるのと、じぶんのすがたをかえるのができるだけなんだ。」
と、飛行おにはかなしそうにいいました。
トフスランとビフスランは、じっとあいてを見つめていましたが、それから頭をよせあって、長いことささやきあっていました。
それからビフスランが、おごそかにいいました。
「わたしたち、あなたのかわりにのぞみをいうことにしたのよ。 −あなたはいいかたですもの。さあ、わたしたちのとおなじだけ、ルれいなきビーをだしてよ。」
飛行おにがわらうことができるなんて、だれだって思いはしなかったのです。ところが、そのときみんなの目には、飛行おにのにっこりしたのが、はっきりと見えました。どんなに飛行おには、うれしがっていたことでしょう。あの人のぼうしから長ぐつまで、それこそよろこびがあふれていたのです。 (251−252)

ヤンソンは、じぶんがわらうことができるなんて、思いはしなかったのです。ところが、この物語をかきおえたあと、彼女の目には、自分のにっこりしたのが、はっきりと見えました。どんなにヤンソンはうれしがっていたことでしょう。あの人のあたまからつま先まで、それこそよろこびがあふれていたのです。


ムーミングッズ集めようかな。