TOHJIRO 拘束椅子トランス 森下くるみ

整形してエビちゃんのような流行の人工的な顔を作った女優が、プレイの過激さはあるものの色気や艶気とは全く縁のないカラミをひたすら繰り返すようなAVばかりが氾濫している現在、こういった試みは非常に評価できる。

作品内容は単純明快。有名女優を拘束に乗せてひたすら苛め抜く。ただそれだけ。余計な設定や演出は一切無し。しかし逆にそれゆえ、有名女優たちが普段見せているような、「AV女優としての」カッコつきのセックスではない、素の部分が見えてくるのである。

本作では森下くるみが起用されている。彼女の場合はシリーズ通したテーマとは別に、もう一つ大きなテーマが浮かび上がってくる。彼女はデビュー以来長期に渡って人気女優として一線級で活躍し続けている稀有な女優である。しかし、同時に長年作品に出続けているにも関わらず、照れが明らかに残る、演技にしか見えないカラミを繰り返しており、その意味ではどの作品もとても見れたもんではない、という特徴をも持っている。
これは彼女自身のパーソナリティーの問題につながってくる。ここからは作品より彼女自身の問題になるが、ブログやインタビューを見る限り、彼女はかなり自意識を強く持った女性であるような気がする。特典映像のインタビューでの受け答えの態度にも、なかなか本音を曝け出そうとしない彼女の特徴が良く出ていた。さらに、真偽の程は定かではないが、AVにスカウトされて上京して以来、ロクに恋愛をしたことがないというエピソードがある。これらを考え合わせると、彼女が作品内で自分を決して曝け出そうとせず、殻にこもったようなカラミを展開し続けるのにも納得がいく。
面白いことに、彼女自身そういった面には自覚的であるようだ。
特典のインタビューでは、照れを捨てて、女性としての悦びにいかに素直に身を委ねられるか、言い換えればどこまで殻を破れるのか、がテーマだと監督に説明されて、自分でもそう思った、という彼女の発言があった。

そういった背景を考慮して観ると、彼女が自分を解放していく過程を描いたドキュメンタリーとしても観ることができて、ある意味感動的だった。

ラスト、かつて代々木忠の薫陶を受けた現在のトップ男優加藤鷹とのカラミで涙を流して感じる彼女の姿は、代々木作品を見ているようであった。
一切の虚飾を剥いだところからのみ、リアルな性(=生)が立ち上がってくる、ということをよくわかっている作品だった。
AV史に残る名作の一つと言えると思う。


追記
森下くるみ精神分析したらおもしろそうだ。プロフィール見て驚いた。
好きな映画の一番上に来てるのがホドロフスキーの非ビデオ化作品ってどういうことだよ。他の好きな映画もコアすぎ。ブログによれば寺山園子温も好きらしい。すげえ。